久保 清香 鶴見大学(非常勤)
Nathaniel HawthorneのThe Marble Faun (1860)に登場する“Model”の存在は、従来の研究ではあまり重要視されていないように思われる。ModelはMiriamに付きまとい、彼女を慕うDonatelloによって殺される。その後Modelは役目を終えたかのように物語から早々に姿を消してしまうため、Modelの役割は、Donatelloが変身を遂げる契機に過ぎないと考えるのは至極当然である。
しかし、過去にMiriamと共同で罪を犯したとされるModelは「許されざる罪人」に相当するはずであるが、“The Birth-mark”(1843)のAylmerやThe Scarlet Letter (1850)のChillingworthのように物語の中枢をなしていないのはなぜだろうか。この時点で我々は、Modelの存在意義を改めて解釈し直す必要があるようだ。そこで本発表では、対極的な人物として描かれているDonatelloとModelの類似性を見出し、DonatelloにおけるModelの「死」の意味を探っていく。作者のキーワードである光と闇、現在と過去、鏡等をあわせて考察していくと、両者の新たな関係が浮かび上がる。この分析を通じて発表者は、Modelは「死んだ」というよりも、Donatelloに「同化している」と考える方が妥当であることを指摘する。かねてからHawthorneは出来事よりもその結果の方を問題視してきた作家であり、この意味でもModelの存在は殺害された後の方が大きいと言える。DonatelloがMiriamと一体感を増していくのは、共犯者という理由だけでなく、Modelが体現する過去の罪を担っているからだということを明らかにしたい。
だとすれば、DonatelloはMiriamやModelと共に最も「許されざる罪人」ではないだろうか。また、作者自身も同じ「許されざる罪人」であることを忘れてはならない。これまでの作品の中ではの行き過ぎを防ごうとしてきた。しかし、本作品においてはその姿勢が揺らいでいる。確かに、KenyonはHildaという伴侶を得てアメリカへ戻るが、DonatelloとMiriamはヨーロッパに留まるため、に歯止めをかけられないからである。このように、アメリカ対ヨーロッパ、現在と過去という構図を下敷きにした結末には、との拮抗が反映されていると考えられる。発表者は、他作品で罪を犯したキャラクター達との比較をしながら、DonatelloとMiriamの運命が暗いものではないことを示唆する。最終的にがによる規制を回避し、最も解放された状況にあることを明確にしたい。その時初めて、The Marble Faunが作者の晩年に執筆され、完成した最後の作品であることの重要性が理解され、Modelの重要性も明らかとなる。