吉岡 由佳 くらしき作陽大学
Gary Snyder (1930-)は、サンフランシスコに生まれ、1950年代後半のビート・ジェネレーションにおいて活躍した。臨済禅だけでなく、ヒンドゥー教や真言密教などにも精通しており、詩作においては息や声といった身体のリズムと自然のリズムの一致を重視して創作している。また、1970年以来、シエラ・ネヴァダ山麓で暮らし、ディープ・エコロジストとして環境保全運動にも精力的に取り組んでいる。
Snyderは、自然・宇宙、仏教への言及がその詩作の特徴と言えるが、とりわけMountains and Rivers without End (1996)においては水のイメージが重要な機能を果たしている。つまり、水の流れと山々の流麗な連なりが、山水画の絵巻のストーリーの流れと重ね合わされており、詩行が一つの絵巻として相互に関連しながら進行する構図が読み取れる。また、山を構成する木々や土、小石の描写もSnyderの自然観を表現する上で重要な要素である。Snyderの第一詩集Riprap and Cold Mountain Poems (1959)は、そのタイトルが示すように「リップラップ」——すなわち、道路工事や山道造りにおいて基層に使われる砂利や小石、及びそれらを平らに敷き詰める作業——が詩集全体を通して貫かれたテーマとなっている。詩集冒頭でSnyderは“Riprap”について “a cobble of stone laid on steep, slick rock to make a trail for horses in the mountains”と定義している。Mountains and Rivers without End における水の動的なイメージとは対照的とも言える、敷き詰められた小石の描写を考察することによって、Snyderの自然観を明らかにする手がかりとしたい。
そこでまず、Mountains and Rivers without End における詩作と水の流れの一体化と同様に、Riprap and Cold Mountain Poemsにおいて小石や砂利による「リップラップ」と詩の構造に類似性が見られるのかを考察する。本詩集に収録された“Riprap”、“Praise for Sick Women”及び “Piute Creek”に描かれる小石の表象と詩の構造を分析することで、小石を敷き詰める行為・技法と詩の言葉の相関関係を浮かび上がらせる。さらに、Riprap and Cold Mountain Poems に収録された詩“Water”とMountains and Rivers without End における小石の表象を比較することで、Snyderの詩作における水と小石の重要性を重層的に議論したい。
以上の考察を通して、自然のリズムを詩作に詠み込むことと、Snyderが詩作において重要視してきた息・声という外界と人体内での空気の循環のプロセスがいかに有機的に重なり合っているのかを明らかにすることによって、Snyderがビート・ジェネレーションという人間性回復の模索時期から、エコロジー思想へとたどり着いた過程を検討したい。