宇津まり子 山形県立米沢女子短期大学
1892年に執筆された“Ma’ame Pélagie”はアンソロジーに収められたこともなく、Chopin作品のみを集めたコレクションでも収録しているものは少ない。評価されてこなかった理由は、The Awakening などでChopinが描く主体性や自己実現を求める女性像からはほど遠い、「父の娘」を主人公に据えているためだと思われる。独身で50歳のPelagieは、南北戦争後の30年間を焼かれた父の屋敷の再建に捧げ、遺跡の陰の小屋に妹と共に暮らし、細々と貯蓄をしてきた。実際の所、30年前には5歳だった妹は、姉が再現を目指す「過去」を覚えてはおらず、2人は夢を共有し得てはいない。時代から取り残されたような姉妹の空間に、若い姪が現在という時間を持ち込み、姪に強く惹かれる妹の姿を目の前にして、姉はついに再建を諦め、新築の家を建てる。
60年代末のPer Seyerstedは、姉と姪をそれぞれ過去と現在の体現者と捉え、両者の対立、そして過去の犠牲という構図をこの作品に見ている。それから30年以上を経たJohn Wegnerは、Pélagieは単なる保守的な女ではなく、独身を貫きながらプランテーションを経営する独立した女でもあることに着目している。北部に対峙する南部という図式の中、南部の抵抗の存続は女の子宮に託され、南部社会において母性は極めて重要なものになるとWegnerは指摘する。そして、Pélagieは15歳年下の妹を「娘」とすることで疑似母性を獲得し、それによって自らの独立性を隠蔽し、社会の要請に応えているという体裁を整えられるのだと解釈している。Pélagie像に新しい側面を見出した解釈ではあるが、Wegnerは過去と現在の対立、つまり世代による女の分断、そして過去の犠牲という構図についてはSeyerstedを踏襲している。
確かにこの作品は、屋敷の再建を諦め、新築の家を建てたPélagieが黒い服を身につけ、人々からは距離を置いて一人遠くを見つめている姿で結ばれており、少なくとも精神的には死を迎えたように描かれている。彼女は自らを犠牲にし、若い世代に場所を譲ったと考えざるを得ない。しかし、妹が姪に夢中になる様子や、姪が去るという知らせに泣き崩れる妹を姉が優しく慰める様子など、孤立した哀しい結末にはそぐわない女同士の緊密な関係が、同時進行で“Ma’ame Pélagie”には描かれている。この発表では、「父」「母」「娘」といった、作品のキーワードにもなっている家族関係の言葉を、ロマンティックな友情の文脈に置き直して再検討することで、姉妹そして姪という3人の女たちの関係を再読する。女の子宮に南部の抵抗の存続が託されるというWegnerの指摘は、言葉を換えれば、子宮の占有化に他ならないが、女たちがそれを再占有化するような転覆的サブプロットが存在していることを示したい。