大川 淳 関西学院大学(非常勤)
本発表では、 The Confidence-Man: His Masqueradeを、その前景化された虚構性に焦点を当て、信用詐欺師に付与された役割を考察する。Clark Davisは「実在するものを虚構として知覚し、利用する虚構の世界」をThe Confidence-Manは提示する、と論じる。The Confidence-Manの現実性を虚構であると認識することは、テクストそのものに対する、読者の不信を引き起こす事態を招く。例えばChristopher Stenは、「タイトルの人物が信用詐欺師ではないことを主張する批評家が、ほとんどいないということは奇妙である」と指摘する。読者は、信用詐欺師と思われる人物が、信用詐欺師であると信用することを求められるが、Stenが言うように、それは「原則」的なものにすぎず、その確証を得ようとしても、テクストの曖昧性によって、読者は煙に巻かれる。
これまでの批評史において、Melvilleと信用詐欺師を同一視する場合、The Confidence-Manを、形骸化したキリスト教社会の価値観と、実利主義に走る資本主義社会を糾弾する風刺小説とみなすものが多くみられる。しかしながら、一方でMelvilleの「偉大な先行作品が、ただ単に捕鯨の記録ではないのと同様に、この作品も風刺小説ではない」とRonald Masonが言及しているように、風刺小説として考察するだけで、読者を煙に巻くThe Confidence-Manのテクストの曖昧性に関する問題をすべて解明できるとは言い切れない。なぜMelvilleは、虚構性を前景化することによって、作品の現実性を歪めたテクストに編み上げたのか、という点が問題となる。
こうした批評史に鑑みて、本発表では、The Confidence-Manを風刺小説としてではなく、実験的小説として分析し、演劇性を前景化するテクスト構造を考察する。次に、作中において乗客の主体を操作する信用詐欺師の詐欺行為が、「紡ぐ」という比喩を通じて描写されていることに注目する。たとえば、信用詐欺師を「蝶」に喩える乗客Pitchが、「羽をはぎ取ってしまえば、詐欺師の紡錘形の体がある」と発言するが、詐欺師の「紡錘形」の体は、テクストを「紡ぐもの」というイメージを喚起させる。こうしたテクスト分析から、虚構性を強調する手法を用いたMelvilleの「書く行為」と、信用詐欺師の詐欺行為にみられる、乗客の主体を虚構化する行為がパラレルであることを分析する。最終的に、信用詐欺師の詐欺行為が、現実を虚構として認識し、利用しつつ、同時にそれを構築する、作家の「書く」という営みに置き換えることができることを明らかにし、信用詐欺師に作家の役割が付与されていることを検証したい。