大野瀬津子 九州工業大学
小説家・批評家で大学教授でもあったPercy MarksによるThe Plastic Age (1924)は、主人公の男子大学生Hughが学部4年間を通じて葛藤する様子を描いた大学小説である。同作は1924年の年間ベストセラーの2位に踊り出、翌年には映画化されるほどの反響を呼んだ。
The Plastic Ageが執筆された1920年代前半のアメリカ社会では、急速な近代化や移民の増加によって、白人中産階級の男性たちの自信が揺らぎつつあった。さらにホモセクシュアルへの社会不安が広がり、男たちは、異性愛者であることを証明する必要にも迫られていた。かくして男たちが、スポーツや女性とのセックスを通じ、マッチョな男らしさを誇示しようと躍起になったのは周知の通りである。
先行研究も示唆するように、男らしさにとりつかれたアメリカ社会の縮図ともいえるのが、当時「国家内国家」とも称され、目覚しい発展を遂げつつあった大学である。1920年代のアメリカの大学では、スポーツによって男らしさが育成されるとみなされ、また男子学生たちはヘテロセクシャルであることを証明すべく積極的に異性と性的関係をもった。その一方、スポーツが苦手であったり「湿っぽい」(wet)若者たちは、歯牙にもかけられなかったという。音楽や詩によって喚起されるセンチメンタルな感情は、行き場を失いつつあった。
小説The Plastic Ageに描かれる男子学生のホモソーシャルな共同体では、<男らしいもの>と<センチメンタルなもの>が両立している。アメリカン・フットボールに代表される男らしさ、他方、詩や性的純潔の理想に結晶するセンチメンタリズム。主人公Hughは、対照的なふたつの世界の間を、ただ行き来する。本発表では、そうしたHughの揺れ動きを、当時の大学、ひいてはアメリカ社会を席巻していた男らしさの言説に対するひとつの態度として読み解く。その際注目するのは、音、特に人間の声である。共同性は、音の行き渡る範囲に形成される。この小説でも、たとえばアメフトの大学対抗試合直前の決起集会で歌われる校歌は男らしい世界を、Hughが友人との歩行中に耳にする詩の朗読はセンチメンタルな世界を作っている。音響空間によって演出されるふたつの世界に対し、Hughはどう反応するのか。本発表では、Clara Bow主演の映画版にも言及しつつ、優柔不断な小説版のHughの揺れ動きを、masculinityとsentimentalityの間を往還する聴覚的sensitivityとして提示したい。