穴田 理枝 近畿大学(非常勤)
Suzan-Lori Parksはアメリカ合衆国の正史としての歴史をふまえつつ,大胆な切り口で新たな歴史の場面を創作し,演劇空間に提示する劇作家である。ParksはNathaniel Hawthorneの『緋文字』の “riff”としてIn the BloodとFucking Aの2作品を書き、The Red Letter Playsとして発表した。この2作品の主人公はそれぞれHester, La Negrita、Hester Smithであり、共に『緋文字』の主人公Hester Prynneと同じHesterというファースト・ネームを持つ。しかし『緋文字』と異なり彼女たちは底辺に生きる黒人女性であり、しかもそれぞれが共に子殺しという結末を迎える。しかし両作品は決して子殺しをめぐる葛藤の物語でも追憶の物語でもない。ギリシャ悲劇的なコーラスや主人公をめぐる人物達の告白、ブレヒト的な歌やTALKという言語を取り入れることで観客の感情移入を制限しつつ、彼女たちの生活と彼女たちをとり巻く状況を描き、歴史的、社会的な事象をあぶり出していく告発の物語である。
In the Bloodでは社会福祉局の役人、医者、聖職者など社会的地位を得た人物達が、5人の私生児の母親であるHesterと関わる。彼らはそれぞれ彼女の性を管理し、社会システムの下位に組み込もうとする。しかしそのような彼らが個人的には彼女と性的な関係を結んでいる。つまり彼らは社会的には彼女のセクシュアリティを軸とした生き方に対して管理を強めながらも、個人的な楽しみのためには彼女を利用するというダブルスタンダードで彼女と関わり、自らの欲望については隠蔽しているということになる。その事実こそが「性」が決して社会システムに組み込まれ得るものではないことを裏付けている。19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパおよびアメリカ合衆国において科学的なアプローチとして形成された血統主義は「悪い血統は排除せよ」という社会的な言説へと変化し、「優生学」として社会的な地位を得た。In the Bloodの冒頭で「社会の重荷」とHesterをののしるコーラスは、そのような言説を担保として排除の論理を正当化する大多数の民衆の声として聞くことができる。一方、Fucking Aの主人公であるHesterは堕胎医という職業に就き、いわば血統の抹消に手を染めている。彼女は幼かった息子のちょっとした盗みを通報し彼を監獄暮らしへと追いやった女への復讐のため、妊娠中のその女を無理矢理堕胎させる。しかしその子供の父親は実は脱獄中のHesterの息子であり、女は権力継承のために息子を求める夫には不義の子であることを隠してHesterの孫にあたるその子供を出産するつもりであったという皮肉が待ち受けているのである。
The Red Letter Playsは、Parksがアメリカ社会においてスタンダードとされる生き方から逸脱したとみなされる者へと下される罰を情け容赦のない筋書きで舞台に上げて見せた2作品である。本発表では2作品に描かれる“blood”, “the red letter”のイメージを手がかりとし、女性の身体を通してParksが告発しようとする「アメリカ」についての読みを提示する。