西原 克政 関東学院大学
外国文学の中でも、詩を研究してみたいと気まぐれにでも考えたりすることが起こりうるのは、一部の例外を除いて、母語による翻訳を通してではないだろうか。どう考えてみても、外国文学との出会いは翻訳というものを媒介にして成立しているのが普通だからである。そこでは、読者には原詩は目に見えない影として寄り添っているか、存在していないという見方もありうる。
アメリカ詩の翻訳ということを漠然と考えてみても、本家本元のイギリス詩の翻訳と比べても、際立つような目覚ましい果実が収穫できたとは言いにくい気がする。いやいや、日夏耿之介のPoeの翻訳があるではないかという反論もあるかもしれない。しかし、日夏耿之介にはWildeの詩の翻訳もあり、必ずしもアメリカ詩に限定できない。そして同時に、Poeは最もアメリカ人らしくない詩人であったのも、日夏耿之介の漢籍の教養が溢れた日本語にうまくなじんだと言えるかもしれない。そして総体的に、詩の翻訳の良し悪しは、個人的な言葉の感覚に左右されるため、価値基準の判断が難しいことが、議論の的にもなりにくいので、研究の対象にもならないという実情があるのだろう。
そのような流れの中で、ほとんど忘れ去られている、英文学者に安斎七之介がいる。教養書の一冊として、あるいは英詩の愛好者に向けて1967年に刊行された『英詩とその鑑賞』(篠崎書林)という小ぶりな本がある。58篇の英米の詩が載っているが、一番作品の多く収録されているKeatsとDickinsonとE. A. Robinsonがそれぞれ7篇づつというのも、非常に個人的な好みが前面に打ち出されている。ほとんど日本で研究対象にされないE. A. Robinsonを、安斎七之介はことのほか愛好していた。彼の翻訳したE. A. Robinsonの詩とDickinsonの詩を眺めながら、彼が詩の翻訳に注ぎたかったことを、推察してみたいと思っている。
もうひとりの人物は、日本文学を海外に向けて紹介する仕事に身を捧げた、小島嶽がいる。彼は、芥川龍之介の短編の英訳に最も早くから取り組んだパイオニア的な存在であった。現在、この方面で最も目覚ましい活躍をしているのは、ニューヨーク在住でアメリカの市民権もすでに獲得したらしい、佐藤紘彰が著名である。その先駆者として、小島嶽がいるのだが、彼の名を知っている日本の文学者あるいは評論家は、はたしてどのくらいいるのだろうか。この小島嶽は、万葉集から選んだ五百の秀歌を英訳したものが、1995年に出版された。彼の晩年の最も重要な仕事として、彼の死後にまとめられたものである。
先達の業績を振り返りながら、外国文学の詩の翻訳の意義を再確認しつつ、これからの方向性を模索してみたい。