千葉 洋平 筑波大学(院)
John Dos Passosの3部作、The 42nd Parallel (1930)、1919 (1932)、The Big Money (1936) が論じられる際、この3部作をまとめたU.S.A. (1938) の序文“U.S.A.”と、3部作の土台となったとされるサッコ・バンゼッティ事件を扱った“The Camera Eye (50)” が他の部分よりも注目されてきた。この2つのパートは、3部作の構想土台となる事件及び3作品をつなぐ序文であるため、小説を理解するため、もしくは作者の意図を汲み取るための特権的な参照点と見なされ、作家自身の政治的立場と結び付けられてきた。近年の研究であるThomas StrychaczのModernism, Mass Culture, and ProfessionalismやMichael DenningのThe Cultural Frontは、Dos Passosの3部作における資本主義の「上部構造」への関心に着目し、アメリカ合衆国の歴史、特に南北戦争後から大恐慌までの北部の歴史を、文化産業やコミュニケーション・メディアの発達との並置によって描いていると論じる。Dos Passosの文体は、簡素であり機械のように小単位の語句が並置されている一方、他方で一見正反対にも見える壮大で複雑なアメリカ合衆国像を作品全体を通して提示する。このコントラストは、小さな個々人の生活がより強大な大陸の歴史の流れに飲み込まれていることを示すものとして解釈されてきた。この状況を敗北主義と見るか、社会変革の契機と見るかは、これまでの批評家たちの議論の的であったと言えよう。
しかしながら、この主題とスタイルの関係を歴史と個人のアレゴリーとしてのみ捉えると、Dos Passosが別のジャンルから借用している特徴を見逃すことになってしまう。そのジャンルとは、「書類」と「文化史」であり、どちらも大戦間期に流行するものである。「書類」は、今日の私たちに最も馴染みのあるライティングのジャンルである。「書類」は、情報が商業的な価値を帯びてくる時期と重なって発展し、1930年代までには民衆を表象するために国家や企業が利用する技術の一つとなった。「文化史」もまた大戦間期に勃興したジャンルであり、不安定な時代においてこれまでの歴史的変化をマクロな視点で捉えることで、これからの指針を模索する目的をもっていた。これらのジャンルは、「アメリカのライフ」の問題点とその治療法を明らかにすることにその関心を向けており、“Newsreel”や“The Camera Eye”のようなモダンなテクノロジーと同様に、特定の状況を映し出そうとする言語的な技術とも言える。本発表では、Dos PassosのU.S.A. に隣接するこれら2つのジャンルの特徴を論じつつ、小説内における情報媒体の役割の変化と登場人物の関係の変化が対応していることを明らかにする。最終的にDos Passosがこれらのジャンルの言語を利用することで、社会変革のための新たな言語の捉え方を考案していることを論じる。