山内 玲 香川大学
Zora Neale Hurstonは、1970年代後半以降、黒人女性文学の伝統という系譜において再評価を受け、キャノンの再検討を経たアメリカ文学史に確固たる地位を得た作家であり、同時にその代表作であるTheir Eyes Were Watching God (以下Their Eyesと表記)はJanie Crawfordの黒人女性の自己と声の獲得の物語として受け入れられるに至った。この動向に応じて強調されなくなったのが、再評価以前に見られた「悲劇の混血女性」という読みを成立させる要素、すなわち白人の祖先の存在をうかがわせる主人公の容姿に示されうるような、混血性の問題である。この混血性に関して、近年のHurston研究では雑種性(hybridity)の問題として再検討する批評が現れている。Hurstonの白人パトロンとの関係や人類学者Franz Boazに師事を受けたことによる影響を指摘する形で、混血性を黒人女性作家における白人性の問題として抉り出すのである。こうした批評の動向を踏まえてTheir Eyesを読むと、黒人女性の物語として解釈される過程で十分に掬い取られてこなかった白人性の問題は確かにある。しかしながら、黒人作家の白人性といえる雑種性を強調するあまり看過してしまうのは、そうした雑種性を拒み、いわば純粋な黒人性の希求といえるテーマの作品を作り出すHurstonの人種意識ではなかろうか。
以上の想定に基づき、本発表は、同時代の黒人男性を巡る言説を参照しつつ、作品のプロットを通じて像を結ぶ作者の人種意識を男性性の表象という見地から考察する。まず確認すべきは、三人の夫たちとの関係を通じて展開する女性主人公の物語において、破局の要因となる出来事が示されるにあたり、これらの黒人男性たちが何らかの形で白人の価値観を具現する存在として描かれることである。例えば、良好な関係を築いていた三番目の夫Tea Cakeとの物語において、二人の関係の終焉につながる狂犬病にかかったのは、迫りくる台風を前にした彼の判断が白人の価値観に依拠した結果であった。
Janieの人生という舞台から退場していく黒人が白人の価値観を具現する物語に作者の人種意識を見出した上で注目したいのは、従来の研究ではその意義を看過されてきた黒人男性で、Janieの第四の夫候補でもありえたMrs. Turnerの弟である。この黒人男性は、Janieの明るい肌への憧れと周囲への黒人への侮蔑を示す姉の口を通じて、Booker T. Washingtonの白人に対する阿りを罵倒する黒人民族主義的な性格を示す。こうした態度がW. E. B. Du BoisのWashington批判を想起させるのを念頭に置いた上でプロットという見地から検討したいのは、彼女の弟が作中に目立たぬ形で配置されているにもかかわらず、JanieとTea Cakeの関係に深い影を落としている点である。この名も与えられない黒人男性は、Tea Cakeに嫉妬の念をもたらし、悪名高い暴力をJanieに行使する原因となり、二人の関係を悪化させる重要な役割を果たしていると言える。本発表では、こうした作品の細部に暗示される黒人男性の性質を分析し、純粋な黒人性を求めるHurstonの人種意識が孕む複雑さを検討したい。