加藤 良浩 北里大学(非常勤)
1920年代のニューヨークを背景に、主人公の内面の苦悩を描いたKatherine Anne Porter (1890-1980) の短編 “Theft”(1929)は、複雑微妙な描写と謎めいた結末のために批評家の注目を集めてきた作品である。
日々の生活に困窮しながらも、都会に一人で暮らす語り手である主人公の女性は、パーティから帰宅した翌朝ハンドバッグが盗まれたことに気づく。彼女の推測通り盗んだのはアパートの女管理人であり、その管理人は、物を所有することに執着していないように見える語り手の様子に乗じてハンドバッグを盗み、年頃になる姪にあげようとしたのだった。二人の間での言葉のやりとりの後、管理人が、語り手の彼女こそがハンドバッグを自分の姪から盗んだのだと告げる。その言葉を受けたように彼女は、「私は自分以外のどんな盗人も恐れなかったのは正しかった。結局自分こそが私という自分に何も残さない原因を作ってしまうのだから」と思う。この彼女の考えは何を意味するのだろうか。本発表では、主人公の内面の描写と登場人物の描写の密接な関係を探ることによりその疑問について考察することにしたい。
“Theft”をめぐっては、主人公の受動的な態度や無関心な姿勢が悪の行為を呼び込む原因となるといった指摘がGivner をはじめとした批評家によってなされてきている。たしかに、所有物に対する主人公の無関心な態度や相手との摩擦を避けようとする彼女の姿勢、すなわち妥協的な姿勢が、管理人によるハンドバッグの盗みとその正当化に対する彼女の精神的な屈服を導いたことを考慮した場合、そうした解釈は説得力をもつと言える。しかし、それでは、彼女の受動的な姿勢は何が原因しているのだろうか。このことについての具体的な説明はこれまでなされてはいないようであるが、それが明らかになることにより、彼女が自分を盗人として恐れる理由がより明確に浮かび上がるように思われる。
主人公は、女性に対して自分の経済力には見合わない方法で騎士道精神にもとづく礼儀を示そうとする友人の男性Camiloについて、「一連の妥協によってささいな礼儀を効果的なものにする一方で、もっと大きく厄介な礼儀は無視していた」との思いを抱く。相手から品位ある人間として思われることを目的としたこの妥協的行動を求める気持ちこそが、彼女の受動的な姿勢の原因と通底していると考えられる。彼女が自分を盗人と受け止めるのも、妥協的な行動の末に盗人と呼ばれた彼女が、Camiloの行動姿勢と彼女自らが体現する妥協的姿勢が根底において共通すると直感し、その姿勢と彼女が前日に目撃した男女の若者たちの光景を重ねたからではないか。つまり、経済的に不自由な中での体裁を求める自らの姿勢が「ささいな礼儀」を保つことを可能にする一方で、「もっと大きく厄介な礼儀」の無視という事態、すなわち相互の関係を破綻に導く、自分自身やそれに関わる相手への負担の転嫁という形の盗みを引き起こすことを、管理人の言葉と前日見た男女の若者たちの光景をきっかけとして彼女が感じたからではないか。