1. 全国大会
  2. 第52回 全国大会
  3. <第1日> 10月12日(土)
  4. 第4室(2号館 2302室)
  5. 2.魚を食らい、キリストを食む—The Old Man and the Sea における医学と宗教の混淆

2.魚を食らい、キリストを食む—The Old Man and the Sea における医学と宗教の混淆

勝井 慧 関西学院大学(非常勤)

 

無類の酒好きでもあり、美食家でもあったErnest Hemingwayの小説は、無数の「食」の描写にあふれている。1920年代のパリとスペインを舞台とした The Sun Also Risesでは、ジャズ・エイジを生きる若者たちの退廃的な生活を彩るように、さまざまなワインやシャンパン、大量の料理が描かれる。第一次世界大戦の戦場を舞台としたA Farewell to Armsにおいても、イタリアのスパゲッティやチーズ、ワインの描写は読者の目を引き、スペイン市民戦争を描いたFor Whom the Bell Tollsではウサギのシチューが主人公Robert Jordanの空腹を掻き立て、戦場でつかの間の生を生きようとする彼の渇望を示唆する。

これらの作品と比較すると、Hemingwayが生前に発表した最後の小説であるThe Old Man and the Seaにおける「食」の描写は極端に簡素であり、描かれる食べ物の数も乏しい。しかしながら、本作における主人公Santiagoの食事は、一つ一つに重要な意味合いが潜んでいる。巨大なカジキマグロを釣り上げようとするSantiagoは海上でシイラやマグロ、エビ、そしてカジキなどを食べるが、肉体の強さを維持するためにタンパク質の多い食物を味や食欲に関係なく摂取しようとするSantiagoの価値観には、20世紀初期のアメリカにおいて一般家庭にも広く知られるようになった栄養学の影響が見て取れる。同時に、脇腹を槍で突かれたキリストのように、銛で脇腹を突かれたカジキを食べるSantiagoの行動には、パンとワインが象徴するキリストの血と肉を食べることでキリストの神聖を得るという、伝統的な聖餐のイメージが付与されていると考えることが出来る。

物語の最後で十字架のようにマストを背負い、両手に聖痕を思わせる傷をつけたSantiagoには、明らかにキリストのイメージが重ねられているため、従来の研究ではSantiagoはキリストの自己犠牲や克己心、禁欲を体現する存在として解釈されてきた。しかし、その一方でSantiagoは“I am not religious ”(OMS 64)と明言し、神への祈りも真剣には唱えようとしない。Hemingwayの作品は、常に20世紀的な近代の価値観と19世紀以前の旧来の宗教観や道徳観との摩擦の中で生きる道を探る主人公たちを描いてきたと言えるが、Santiagoの中にも多くのHemingway作品の主人公たちが抱き続けた宗教へのアンビヴァレントな感情や新旧の価値観の葛藤が潜んでいるといえる。

本発表の目的は、The Old Man and the Seaにおける「食」の描写とその歴史的背景を読み解くことで、Santiagoの中で対立しながら融合へと向かう新旧の価値観のせめぎ合いを明らかにすることである。