中 良子 京都産業大学
1955年アラバマ州モントゴメリーのバスボイコット運動に端を発した公民権運動は、後に学生運動・女性運動・ベトナム反戦運動・多文化主義・対抗文化など、アメリカにとっての重要な政治的・文化的変革をもたらす原動力となった。この騒乱の震源地となった南部では、非暴力主義に基づく人種平等の思想を暴力によって抑え込もうとする事件が多発する。J. F. Kennedy の暗殺に象徴されるように、銃は60年代アメリカ社会の変容において(逆説的な意味で)重要な役割を果たしたといえる。
元来南部において、銃は先祖から継承される象徴的な意味をもつものであった。またW. J. Cash も南部における暴力をプランテーション制度によって培われたロマンティックな個人主義の表れであると見なしたように、暴力は旧南部の神話において容認されてきた。しかし、公民権運動にまつわる暴力、とりわけ銃による数々の暗殺事件は、どのように受け止められたのだろうか。
本発表では、Martin Luther King, Jr. 暗殺を始めとする公民権運動にまつわる暗殺事件の真相解明を試みた William Bradford Huie のドキュメンタリー作品、Medgar Evers 暗殺事件の起こった夜に一気に書き上げたという Eudora Welty の短篇"Where is the Voice Coming From?" (1963)、Emmett Till 殺人事件を題材にした James Baldwin の戯曲 Blues for Mr. Charlie (1964) を中心に取り上げる予定である。Huie のドキュメンタリーで本人への直接のインタビューや事実関係の取材を通して追求される犯人像、Welty の短篇に描き出される、事件を引き起こす要因となる南部社会に潜む「声」、そして南部社会の外部から、人種偏見の犠牲となった少年の死に捧げられる哀悼歌のなかに、それぞれの作家の異なる視点から捉えられ、異なるジャンルの作品に描き出された銃の表象性を考察する。そこに旧南部の神話の解体と新たな神話の萌芽を読みとることは可能だろうか。銃を通して60年代南部の「アメリカへの参加運動」を見てゆきたい。