貴志雅之 大阪外国語大学
Errol Hill と James V. Hatch は、共著 A History of African American Theatre (Cambridge Univ. Press, 2003) の冒頭で、アフリカ系アメリカ人の歴史をヨーロッパによるアメリカ大陸発見と征服にたどる。そして、この歴史的文脈で、被征服民 "Amerindians" と奴隷化されたアフリカ系アメリカ人との類比的関係を論じ、植民地主義・帝国主義による支配と被支配の関係がアフリカ系アメリカ演劇史編纂の起点となることを明確化する。
本発表は、Hill と Hatch の指摘を手がかりに、アメリカ演劇と銃の関係性を、まずヨーロッパによるアメリカ大陸征服に遡る。銃と十字架によってなされた征服・支配は、ヨーロッパが新世界を略奪・征服する手段のみならず、ヨーロッパとアメリカが互いに他者を見るまなざしを表象する記号として銃(大砲)を映し出す。この点から、コルテスによるアステカ帝国征服物語を描いた Arthur Miller のThe Golden Years (1987) を考察する。
次に、Eugene O'Neill のThe Emperor Jones (1920) をめぐって、皇帝 Jones の銃による帝国支配と死に至る逃亡の過程で投影される白人の黒人支配=奴隷制度の人種的記憶を検討。さらにAmiri Baraka の Slave Ship (1967)、The Slave (1964) に言及しつつ、銃に記号化される黒人と白人の歴史的関係性を考察する。そして、Suzan-Lori Parks の The America Play (1993) と Topdog/Underdog (2001) があらわす黒人登場人物による Lincoln 暗殺事件の再現=再演を、人種的歴史表象の再表象化として読み解いていく。その後、アメリカとアジアの戦争に焦点を移し、日本人戦争花嫁を描く Velina Hasu Houston の Tea (1987)において、銃が投影する、他者にたいする白いアメリカ帝国の歴史的軌跡と現在のありようを論じる。
最終的に、植民地主義からポストコロニアリズムヘの流れの中で、アメリカ演劇が照射する帝国支配の表象としての銃、そして同時に「他者からの逆襲」のメディアとして正史の解体と書き直しを要請する銃の記号性を浮上させることを目的とする。