朝比奈 緑 慶應義塾大学
詩人・作家Helen Hunt Jackson(1830-1885)は、詩人Emily Dickinson(1830-1886)と同年に、同じ町マサチューセッツ州アマストに生まれた。没年もわずか一年の差で、全く同時代を生きたといえる。この二人は、アマストアカデミーでの幼ななじみであったが、ジャクソンが両親を亡くしアマストを去ってからは、全く親交がなかった。二人の人生が再び重なるのは、南北戦争後1866年の頃である。ディキンスンが「私の師」と呼び、1862年から文通を続けていたThomas Higginsonを、ジャクソンもまた「師」と選んだときである。夫と子供を亡くしたジャクソンは、ニューポートで、病気の妻と暮らしていたヒギンスンと同じ下宿屋に身を寄せたのである。そこでジャクソンは、ヒギンスンのもとへ送られていたディキンスンの詩を多く読んでいたと思われる。近年出版されたジャクソンの伝記Helen Hunt Jackson: A Literary Life (University of California Press, 2003)において、その著者Karen Phillipsは、これまで未公開であった数多くの書簡を通じて、ジャクソンとヒギンスンとの師弟関係を裏づけている。
本発表では、ヒギンスンを仲介者として、再び出会うことになった二人の間に交わされた書簡を考察したい。現存する書簡の数は、15通(ジャクソン宛6通、ディキンスン宛9通)である。またディキンスンは、少なくとも11編の詩をジャクソンに送っている。題名に引用した言葉は、1884年出版の小説『ラモーナ』を読んだことを告げたディキンスンの手紙にある。先住民族の権利保護への関心を高めるために書かれたこの小説を、ディキンスンはどのように読んだのであろうか。ディキンスンの眼に映ったアメリカは、好んで身にまとった白い服のように、先住民の影すら見えない「白い」大陸であったのであろうか。またこの言葉を受け取ったジャクソンの反応はどうであったのか。小説『ラモーナ』に託した作家ジャクソンの信念を、フィリップスの伝記を基に探り、推察してみたい。また、ディキンスンが送った詩のなかからは、とくに1879年に送られた“Before You thought of Spring”(フランクリン版1484番)をとりあげたい。ブルーバードを描写したこの詩を、ジャクソンはどのように読んだのか。当時のジャクソンの状況をふまえ、また<出版>に対する両者の態度の差異にも焦点を合わせて考察したい。ディキンスンの伝記を著わしたRichard Sewall は、かつてジャクソンをディキンスンにとっての「完璧な読者」と呼んだが、その指摘は妥当であったかどうかを最後に検証したい。