中山 麻衣子 愛知県立大学(非)
ハーレム・ルネサンス以降のアフリカ系アメリカ人の言説は、奴隷制時代、南北戦争後の解放・復興期を乗り越えながら、黒人コミュニティの間で連綿と受け継がれてきた ”the vernacular tradition(民族的伝統)”——黒人霊歌、説教、俗謡、労働歌、民話など——を、文学的装置として意識的に導入してゆく。新たなアイデンティティを求め始めた黒人たちにとって、長くアメリカ社会の傍流として顧みられることのなかった内なる伝統を掘り起こし、文学的レトリックとして復興させることは、民族の「自伝」を描くための有効な手段であったのだ。
近年、白人知識層との共謀関係を指摘され、その歴史的意義を問い直されているハーレム・ルネサンスではあるが、本発表においては、その代表的大衆詩人であるLangston Hughesの作品について、この”the vernacular tradition”のレトリックという視点から再評価してみたい。ブルース・ジャズなど、20世紀初頭に生まれた黒人音楽の手法のみならず、Hughesはアフリカ系アメリカ人の庶民たち特有のストリート・ランゲージ——俗に”signifying”などと呼ばれる——を巧みにその文学テクストに再現し、白人社会からの抑圧的言説を、如才ないユーモアで転覆してしまうのである。
“signifying”とは、黒人コミュニティ、特に若者たちを中心に親しまれてきた俗謡であり、個人的あるいは集団的な即興の脚色によって、街角で常に新しく生成されてゆくため、無限のバリエーションを持つ。その代表格は”the Signifying Monkey"であり、ずる賢いごろつきである”the Monkey”が、ジャングルの王者として君臨する”the Lion”を巧みな言語ゲームへと引き込み、第三者である”the Elephant”との争いへと導く。”the Monkey”は自ら手を汚すことなく、発話によるレトリックのみで王者をひどい目に遭わせてしまう、というのが一般的な筋書きだ。Hughesは、この”signifying”の持つ、いわば行為遂行的言説の力を借りることによって、彼の詩作品のいくつかにおいて、アフリカ系アメリカ人の言語的抵抗、また内なるアイデンティティの表象に成功している。(こうしたストリート・ランゲージの典型例と言えるのが、Ask Your Mama (1961)の一連の詩作品であり、また"signifying"の最も優れた成功例としては、"Theme for English B"(1951)が挙げられるだろう。)長い抑圧の歴史の中、他民族との対峙においてはからずも磨かれた、黒人たちの口承のレトリック——その卓越と、後の公民権運動などに与えた影響についても、触れてみたい。