辻 秀雄 慶應義塾大学(院)
Hemingwayの初期の作中に登場するアフリカン・アメリカンの何人かには、一つの共通点がある。それは、かれらがボクサーであるということだ。代表的な二人として、実在のボクサーがそれとわかるように登場する例、そして、ボクサーとしては登場しないアフリカン・アメリカンのモデルがボクサーとしての前歴を持つことが明らかになった例がある。前者は、“The Light of the World”という短編で作中人物たちの話題の的となるJack Johnson、後者は、The Sun Also Rises に登場するパリの酒場のドラマー。興味深いのは、まず、双方の例がそろって異人種間の性的関係をほのめかしていることだ。さらに、Michael Northが The Dialect of Modernism で論じた白人モダニストによるアフリカン・アメリカンの英語の再表象の一例こそ、The Sun Also Rises の「黒人」ドラマーの英語が体現していることも、見逃せない。
本発表では、白人のモダニズム文学がアフリカン・アメリカンの英語の影響を不可避的に受けていたとするNorthの立場を前提にした上で、Northが問題にするモダニズムの「方言」を The Sun Also Rises に隠蔽された異人種間の性的関係というメタファーとの相同関係から考察し、その後、“The Light of the World”をJack Johnsonというボクサー中心に読み直したい。アフリカン・アメリカン初のチャンピオン・ボクサーであったJack Johnsonは、白人ボクサーによるベルト奪還の熱狂、すなわち“Great White Hope”という焦燥感を巻き起こす。彼はまた、大っぴらに白人女性と関係を持ち、反感を呼んだ。Jack Johnsonは、白人側の人種意識を増長すると同時に人種の境界を侵犯するトリックスターであったといえる。
そもそも、人種の純潔という概念を成り立たせているのは、実は混血の概念である。だからこそ、The Sun Also Rises のテキストの表面から隠蔽された異人種間の性的関係というメタファーは、逆説的にそれを語る言語自体の混血性を示唆していると考えられる。そして、Hemingwayの初期作品に登場するアフリカン・アメリカンのボクサーの系譜は、人種という概念そのものの問い直しを迫るものと評価できるのではないか。こうした見地から、Hemingwayの高校時代の創作、“A Matter of Color”にも触れたい。