高野 泰志 岩手県立大学
20世紀初頭のアメリカは,19世紀的な「お上品な伝統」をいまだに根強く残しながらも,徐々に「性の解放」へと向けて変化しつつあった。特にマスターベーションに関する言説は,この時期に大きく変化することになる。青少年に向けた性教育の中でも「マスターベーションの害悪」はもっとも恐れられていたもののひとつであり,教会や医者たちは若者たちの健康を阻害することになるこの「悪徳」をやめさせようと,マスターベーションの及ぼす「恐ろしい悪影響」を繰り返し主張し,若者たちの恐怖に訴えかけたのである。それは性行為を生殖のためのものと位置づけるキリスト教の立場上,そして功利主義的なアメリカ社会という土壌において,生殖とは何ら関わりのないマスターベーションは宗教的のみならず経済的にも罪悪であると考えられたためである。しかし20世紀初頭には徐々に新しい科学的な言説が現れ始め,こういった旧弊な性教育とそれに対する反動的な考え方が徐々に生まれ始めた。丁度その過渡期にシカゴ郊外の厳格なピューリタン社会で生まれ育ったHemingwayは,必然的に性に関して様々な異なる価値観を吸収することになったはずである。本発表ではHemingwayの性意識を,価値観が複雑にせめぎ合う時代背景の中で改めて捉えなおし,従来の作品解釈に見直しを迫りたい。
まずは当時のマスターベーションに関する言説がHemingway作品の中でどのような役割を果たしているかを考察する。いまだコムストック法の影響が残るなか,Hemingwayの作品にはマスターベーションに直接言及した作品はほとんどない。しかしいくつかの作品でマスターベーションをにおわせる場面は存在しているのである。たとえば初期の短編“Mr. and Mrs. Elliot”では,はっきりとは描かれないものの,おそらく主人公Hubertがマスターベーションをしたらしいことを窺わせる場面がある。Hubertのマスターベーションは,彼が繰り返し主張し実践してきた「性的な純潔さ」と併置したとき,当時の社会的な背景を色濃く反映した重要な意味を帯びていることが分かるのである。
また直接的なマスターベーションの描写だけでなく,当時のマスターベーションに対する社会的価値観が作品の性描写にどのような影響を及ぼしているのかを併せて考察する。Hemingway初期の代表作 The Sun Also Rises は,当時の性風俗を鮮明に写しだすとともにHemingwayの性に対する考え方を強く反映した作品でもある。第一次世界大戦後の不毛で退廃的な時代風潮のなか,「生殖に関わらない性」に対する当時の価値観が,性的不能者を主人公としたこの作品にどのような影を落としているのかを明らかにしたい。
性に対する社会的価値観が解放と反動の狭間を揺れ動くなか,Hemingwayの性意識はどのように変化したのか,あるいはどのような点が変わらずに維持されたのか,改めて検証したい。