海上 順代 秋田国立工業高等専門学校
William Faulkner の Sanctuary (1931) は、Dianne Luce Coxの “A Measure of Innocence: Sanctuary’s Temple Drake” に見られる様に Temple Drake を中心に論じられることが多い。そして Templeの人物像を考える際、作品に見られるセクシャリティーやジェンダーの側面を軽視することは出来ない。この点に関連して Sanctuary は様々な方法で批評されてきたが、本発表ではセクシャリティーとジェンダーの問題を作品に見られる Gothic fiction と detective fiction の要素を検討することで論じていきたい。そしてSanctuary のテキストの中で反復される「見る」という行為の意味を考察したい。
女子大生のレイプ事件と殺人事件が起こり、殺人容疑者の弁護人を軸に物語が展開する。弁護士 Horace Benbow は謎解きをする立場にあり、彼の視点から読者は様々な事件に関係する事実を知ることになる。小説の構造としては、 Popeye の出生等、重要な事実は物語の後半まで読者には明かされない。犯罪と、探偵の役割を与えられた弁護士と、謎は最後に明かされるという構造に於いて、 Sanctuary は detective fiction の要素を兼ね備えている。
しかし Horace を含めた登場人物の characterization と人物関係には、 Gothic fictionの要素も強いのである。 William Patrick Day の In the Circles of Fear and Desire には、 Gothic fiction の特徴だけでなく detective fiction とGothic fiction の類似点と相違点も記されている。「見る」という行為に於いて、この相違は重要な意味を持ってくる。主な相違点は、主要人物と事件との関わり方にある。 detective fiction で中心的人物となる探偵 ( detective ) は事件に直接関与することなく、距離を持って観察する人物であるのに対し、 Gothic fiction のヒーロー、ヒロインは自分の属さない “underworld” に迷い込み、そこで遭遇する他者 ( Other ) の中に自分の隠されたアイデンティティを見出し、冷静に「他者」との距離を保つことが出来なくなるのである。
Self と Other の境界線の揺らぎを Gothic fiction の登場人物は経験するのだが、この認識は「見ること」によって成される部分が大きい。 Sanctuary の登場人物は周りの者と深い人間関係を築くこともなく、相手が自分を見つめ返さない状態で相手を捉えることに固執している。 Sanctuary の小説空間では、視線は常に欲望を表し、視線の中に相手を捉えることは「優越」や「権威」に通じる。 Horace の容疑者の弁護人として最も外部から犯罪事件を観察する立場は detective に近いのであるが、 Old Frenchman place という “underworld” で Popeye に出会い自分の隠された自我と欲望に直面する点で、 Gothic fiction の male protagonist に通じるのである。
判事の娘 Temple Drake と Horace は自分達の respectableな社会からはぐれunderworld に迷い込み、その「他者性」に圧倒される。しかし物語が進行するにつれて、その二つの世界は極度に家父長的であるということが明らかになっていく。レイプ事件の被害者である Temple は常に「家父」に当たる最も権力を持つ人物 ( underworldではPopeye, respectableな社会では父の Drake 判事 ) に付き従うことで、死は免れている。彼女は「見られる対象」になっても、自らは物を「見て」理解することはない。彼女は一貫して家父長社会が期待する gender role から逸脱しないのである。
本発表では Sanctuary の detective fiction の要素との比較の中で、「上流社会」「下層社会」の対比と類似性の発見を特徴とした Gothic fiction の要素を再検討することで、二つの対比的な世界に表される家父長制とジェンダーの役割に基づく「家族」の形態について考察したい。