白川 恵子 同志社大学
セーラムの魔女狩りの背後に、体制転覆の可能性をはらむ人種的、身体的、宗教的逸脱の要素を看破する解釈はもはや必然である。しかし昨今とみに顕著なのは、ネイティブ・アメリカンと植民者との抗争の影響を積極的に見出そうとする動向であろう。エセックス郡におけるウィリアム王戦争の影響から魔女狩りを再構築したMary Beth Nortonや、当時の環大西洋地域の人種的相関関係を考慮して、奴隷Titubaの人種的アイデンティティーをインディアンと同定するElaine G. Breslawらの歴史的研究は言うに及ばず、文学においても、イギリス人作家Celia Reesのメタナラティヴ Witch Child (2000)および Sorceress (2002)は、初期アメリカ植民者による魔女狩りの歴史が、ネイティブ・アメリカン社会と直結している様を如実に示している。
魔女狩りの物語化は枚挙に暇なく、これまでJohn C. M'Call, John Greenleaf Whittier, Henry Wadsworth Longfellow, James Nelson Barker, John William De Forest, Nathaniel Hawthorne, Arthur Miller, Ann Petry, Maryse Conde等、多種多様な作家が同時代の政治的・文化的状況をテクストに反映させてきたが、今回私は、John Nealの Rachel Dyer (1828)を中心に考察を試みたい。というのも数多の魔女狩り物語群中にあって、本作品は、かなりの割合で史実を踏まえて創作された初期の歴史ロマンスであるのみならず、人種的、宗教的不寛容を基盤とするニューイングランドの歴史、生霊証拠と告発による不当な裁判、為政者側の欺瞞を知らしめるという点においても後の作品に影響を及ぼす内容を提示しているからである。しかもさらに重要なことに、ニールはあたかもノートンを先取りするかのように、魔女として処刑された牧師George Burroughsのインディアン・コネクションを前景化している。
実際のセーラムの魔女狩りで ”Ringleader”と目されたバロウズは、作中、捕囚された白人女性とインディアンとの血を引く混血という出自を与えられており、1660年処刑された実在のQuaker教徒Mary Dyerの孫娘として設定された同名主人公の畸形レイチェルとともに死刑判決を受ける。物語のサブプロットには、魔女狩り旋風が吹き荒れる直前のFalmouthにおけるインディアンとの攻防や、Elizabeth Hutchinson(=Ann Hutchinson)の追放も含まれ、ニールが多大な影響を与えたホーソーンの諸作を彷彿させる場面にもこと欠かない。
David S. Reynoldsによって “the father of American Subversive fiction”と称された南北戦争前期の煽情作家ニールが周縁的存在の反逆精神を描くとき、そこにはいかなる時代背景が反映され、また異人種、異教徒、畸形という様々な逸脱を背負う「魔女」たちは、いかなる連関を示し共鳴しあうのか。本発表では諸作品の比較検討を踏まえて、以上の点を論じたい。