1. 全国大会
  2. 第45回 全国大会
  3. <第1日> 10月14日(土)
  4. 第6室(55年館6階 563教室)
  5. 2.Katherine Anne Porter とナチズム—Ship of Fools を読む

2.Katherine Anne Porter とナチズム—Ship of Fools を読む

木村 章男 神奈川大学


Porterは Ship of Fools の冒頭に付した覚書で “I am a passenger on that ship.”と現在形で書いている。この言葉は偶然そうなのか、必然的にそうなのかを問うことで、意味が違ってくる。つまり自分はたまたま今の時代に乗り合わせただけの、普遍的な観点を持ち合わせた観察者=傍観者であるのか、あるいは自分もまた今という特定の時代、あるいはイデオロギーに囚われながら考えざるを得ない一人の共犯者なのか、ということだ。

Porterは同じ覚書の中で、この小説のタイトルをSebastian Brantによって書かれた中世ドイツのアレゴリーDas Narrenschiff (The Ship of Fools)から得たことを明かしている。だがPorterはもしBrantが1931年にドイツ行きの船に乗り合わせたら、もう一度 Das Narrenschiff を書いただろう、と言っているわけではない。Porterは決して人間はいつの時代も変わらないと言っているわけではないのだ。この小説は作者の1931年のドイツへの船旅を主な題材とし、1940年に着想を得、実に21年をかけて書かれ、1962年に出版された。最初のドイツ体験から、小説の出版まで31年の時が過ぎ、その間第二次世界大戦があり、アウシュヴィッツがあり、冷戦があり、その下での赤狩りがあった。Porterが言う「その船」とはこの特定の時代のことである。もしこの小説が悪について書かれているとしても、それはPorterを紹介する簡単な解説書などで言われているような、いつの時代にも通用する普遍的な悪ではなく、1930年代から1950年代にかけて彼女が見た、あるいは属していた社会における悪のことなのだ。

Robert H. Brinkmeyer, Jr. は Katherine Anne Porter’s Artistic Development: Primitivism, Traditionalism, and Totalitarianism (1996) において、この小説には冷戦下において共産主義という全体主義を排斥するため、赤狩りというもう一つの全体主義に陥ったアメリカ社会へのPorterの批判と失望が反映されていることを指摘している。また、Thomas Carl Austenfeldは American Women Writers and the Nazis: Ethics and Politics in Boyle, Porter, Stafford, and Hellman (2001)で、この小説がドイツ人をナチ=悪と見立てて断罪する単純な観念小説になっているのは、作者が戦後のアメリカで得た知識に基づいて書かれているためであると論じている。いずれにせよ二人とも、ポーターが悪の内に自分を含めていないことを示唆しているが、今回の発表ではこうした先行研究を批判的に継承しながら、Ship of Fools においてPorterは十分に自己批判的であることを指摘したい。