重迫 和美 比治山大学
William Faulknerの Go Down, Moses (1942)は,初版のタイトル Go Down, Moses and Other Stories に驚いたFaulknerが “and Other Stories”の部分を削除するよう出版社に抗議したという興味深い出版経緯を持っている。作品に織り込まれた各エピソードのほとんどが,本作以前に独立した短編として書かれたもので,実際,それぞれが完結した作品のように見えることから,出版社は本作を“stories”と見なしたのだが,Faulknerは“a novel”だと主張したのだ。
結局, 1955年版から,本作のタイトルはFaulknerの要求通り Go Down, Moses に改められたが,両者のタイトルをめぐる論争は研究に波及し,“a novel”として本作全編を包括する全体的なテーマを究明することが重要な課題とされた。そして,バラバラに書かれたエピソードを一つの作品とするためにFaulknerが行った視点人物の変更等,加筆修正の分析を手がかりに,「人種」や「荒野」などの重要なテーマが変奏されながら全編に通底していることが明らかにされてきたのである。
結局, 1955年版から,本作のタイトルはFaulknerの要求通りGo Down, Mosesに改められたが,両者のタイトルをめぐる論争は研究に波及し,“a novel”として本作全編を包括する全体的なテーマを究明することが重要な課題とされた。そして,バラバラに書かれたエピソードを一つの作品とするためにFaulknerが行った視点人物の変更等,加筆修正の分析を手がかりに,「人種」や「荒野」などの重要なテーマが変奏されながら全編に通底していることが明らかにされてきたのである。
本作の語りの多様性を,できあいの短編エピソードをまとめて作られたが故の作品の限界と断じて,無視するべきではないだろう。例えば “Was” では,加筆修正の際,Faulknerは視点人物の名前を変えるだけではなく,視点人物Bayardに “I” で言及する一人称の語り手から,視点人物McCaslin Edmondsに “he” で言及する三人称の語り手へと語り手を変更しており,独立,完結した各エピソードを一つにまとめるため,彼がエピソードの語りの様式にも決定的で入念な変更をしている事実が認められるからだ。
本発表では,本作の語りを詳細に分析し,その多様性と意義を明らかにしてみたい。