土井 一郎 大阪外国語大学(院)
本発表で扱うことになるMartin Dressler: The Tale of an American Dreamer (1996)が1997年にピュリッツァー賞を受賞したものの、Steven Millhauserという作家は現代アメリカ文学界の中で依然として影の薄い存在であると言わざるを得ない。短編を得意とする彼が作品の中で扱う題材も、自動人形や、遊園地、盤上ゲーム、博物館といった「ソフトでチャイルディッシュ」なメディアで溢れている。
そんな彼が、1996年発表の長編小説 Martin Dressler で描いてみせた「ホテル・建築・実業家」というテーマは、Millhauserという作家を素朴なアメリカン・イノセンスと結びつけて理解していた読者の目に、突然の作風の転換として映ったかもしれない。しかし、主人公Martinが最終的に建築する、森羅万象を内包し、ありとあらゆるサービスを提供する巨大な複合ホテル「グランド・コズモ」を通して描かれる「最大」「過剰」「蒐集」といったモチーフは、これまでのMillhauser作品で描かれてきたテーマを継承していると言える。すなわち、彼の得意としてきた「箱庭的な小宇宙におけるダイナミクス」というテーマが、この作品では勃興期の「摩天楼」という都市空間において展開されているのである。このように、Millhauser作品の根底を流れ続けてきた「ミクロ/マクロへの偏愛」は、その寓話的な文体も手伝って、摩天楼の建築的最大志向性と呼応しながら、アメリカという国自身の最大志向性へと敷衍的に重なり合っていく。その一方で、「もはや一個の街に等しい」ほどの巨大なホテルを実現しながらも一向に満たされないMartinの際限無い欲望が引き起こす「空虚さ」が、先の「最大性」と同様に物語の重要な核となっている点も見逃すことが出来ない。
本発表では特に、主人公Martinが実業家としての成功の末に建設する「グランド・コズモ」という巨大建造物に注目し、同様の「アーカイブ」装置である図書館、デパートメント・ストア、美術館といった建築表象を扱ったBenjaminやCrimp、Koolhaasらの論考をふまえながら、夢想される「最大性」とそこに逆説的に憑きまとう「虚空性」について考察する。さらに、"Bigger is Better"というアメリカの精神性が、こうした「最大志向性」のまたとない舞台となってきた点に注目しながら、物質的所有の最大化を重んじる「資本主義社会/アメリカの夢」を検証する。また、同時にこれは「ソフトでチャイルディッシュ」なミクロコスモ的特徴が強調されてきたSteven Millhauserという作家の、逆説的な「ビッグネス」を読み直す試みである。