内田 有紀 大阪外国語大学(院)
Steve Erickson5作目の Arc d’X (1993)においては、アメリカ建国の父として知られる第三代大統領Thomas Jeffersonと彼の奴隷であり愛人でもあったSally Hemingsとの愛と自由をめぐる関係が主軸となり、それがさまざまな時間、空間に属する人々を巻き込みながら、歴史や世界を書き換えていく様が描かれる。本作品において物語展開の契機を提供する「独立宣言」は、Thomasによって「幸福の追求」という極めて私的な理念を書き込まれたために、アメリカ誕生の書であると同時に不可避的にアメリカの死をも宣告してしまう。つまり、政治的理念としての「アメリカ」はその私的な物質的欲望充足の追求をも肯定することにより、自らを脱構築的に死へと追いやってしまう。それを雄弁に物語っているのが、ThomasとSallyの関係である。Thomasとの性愛関係においてSallyは彼をめがけてナイフを振りかざすが、彼女の身振りは「独立宣言」が運命づけたアメリカの死の実演に他ならない。しかしSallyのナイフは結果的にThomasではなく白いベッドを貫通し、彼女によるThomas=「アメリカ」殺害の瞬間は遅延される。本発表では、Arc d’X において「Thomasはなぜ直ちに殺害されなかったのか」という点から、「独立宣言」によって決定づけられた「アメリカ」の死に対するThomasの死の遅延の効果を考察していく。その際、テクスト内に看取される、Thomasの死の遅延を促す多様なレベルのズレに着目し、それが複数のアメリカをいかに亡霊的に呼び込み接合していくかについて検証を試みる。
夢を見ることによりSallyが神権政治体制の近未来都市イオノポリスに時空間的に移動すると、語りの視点はSallyからイオノポリスの警官Wadeにズラされる。この語りの視点のズレは、Sallyの夢が他者Wadeによって貫通され、その固有性が脱臼されたことを示すものである。反復される語りの視点のズレが、夢と現実を接合させながらThomasをテクスト内の関心から疎外する一方で、「幸福の追求」と書かれた石が「盗む」行為を通して登場人物間をリレーされる様は、彼ら自身の「幸福の追求」が「アメリカ」を変異させていくことを暗示している。だが、各登場人物のトラウマ的記憶の徴候が灰、煙、Vogとして現れるとき、そこに奴隷女性EvelynについてのThomasのトラウマ的記憶の痕跡を読み取ることもまた可能である。このことは、「アメリカ」が登場人物たちによって変異させられながらも常にThomasのトラウマ的記憶を内包していることの表れに他ならない。さらに言えば、歴史の分岐点としてのSallyの応答「イエス/ノー」がアメリカの「染色体」と表現されていることから、彼女が「アメリカ」に貫通させたのはナイフではなく生存のための遺伝子だったと解釈できる。Sallyを始めとする登場人物たちは、それぞれが「幸福の追求」への応答者であり、彼らは応答を通じて政治的言説「独立宣言」の行為遂行性を脱構築していく。Jeffersonの「独立宣言」は、未来の他者による応答によって補完されるのである。本発表では、「独立宣言」が遅延を通していかに亡霊的染色体としての他者と有機的に連結されるかを考察したうえで、応答の連鎖のプロセスのなかに表出されるアメリカの「剰余」を逆照射してみたい。