1. 全国大会
  2. 第46回 全国大会
  3. <第1日> 10月13日(土)
  4. 第7室(1号館5階 151教室)
  5. 2.死へと向かう男、死から逃げる男——Don DeLilloの Cosmopolis と White Noise

2.死へと向かう男、死から逃げる男——Don DeLilloの Cosmopolis と White Noise

野口 孝之 学習院大学(院)


Don DeLillo(1936- )が1985年に発表した White Noise と2003年に発表したCosmopolis は、共にテクノロジーやメディアに依存した世界における身体性の問題を扱っており、共通する特徴を数多く持っている。例えば、White Noise の語り手Jack Gladneyは死に関して強い恐怖感を抱いているが、それと同じように Cosmopolis の中心人物Eric Packerは自らの健康を気にしておりGladneyほど明確ではないにしても死を恐れている。また作品の展開においても、Gladneyは有毒化学物質をその身に浴びることにより、Ericは脅迫を受けることにより、作品の中盤以降から死が身近に迫ってくるという同じような流れとなっている。こうした共通点から、これら二つの作品は対になっているといえよう。

死に対して恐れを抱く二人は、それぞれのやり方でそうした恐怖に対応している。Gladneyは、Hitler学科を始めとする自らを取り巻くシステムに依存し、己をその一部とすることで安心感を得ていた。Ericは、旧いものを遠ざけハイテク機器のような最新のものを周りにおくことで危険から身を守っていた。こうした彼らの死の恐怖に対する防衛手段は、作品前半においては機能しているが中盤以降に死が迫ってくることで綻びが生じてくる。

それまで効果があった対応策が通じなくなると、二人の反応はそれまでと異なり決定的に違ったものになっていく。Gladneyは死の恐怖を取り除く薬Dylarを求めるようになるのだが、その薬の効果とは己をシステムの完全な一部とし死の恐怖を忘れさせるというものである。最終的に彼はDylarを服用することはしないが、Gladneyのこの行動は彼が死を遠ざけようとしていることを意味している。そのため、Gladneyは死から逃げる男だといえよう。それに対し、Ericは死から逃げるどころか自らの身体に痛みを与え、率先して危険な場所へと近づいていく。彼のこの行動は、自分から死に接近することで生の実感を取り戻そうというものである。このことから、EricはGladneyと対照的に死へと向かう男だといえる。

迫りくる死との関わり方の違いは、二人を全く異なる方向へと導いていく。Gladneyは最終章で自らを安心させるスーパーマーケットで買い物をする習慣を続けており、そこには作品を通して彼が決定的に変化したという徴候はみられない。一方、Ericは死へと近づくことで、生の実感をある程度取り戻すことができ、作品冒頭で眠ることができなかった彼は、作品終盤での床屋で眠りを取り戻すという大きな変化を経験する。こうしたことから、White Noise は変化することない世界を描いた作品であり、Cosmopolis は変化する世界を描いた作品だといえよう。本発表では、White Noiseで変わらない世界を描いていたDeLilloが何故 Cosmopolis で変化する世界を描くに至ったのか、DeLilloの意識の変化を考察していきたい。