中西佳世子 京都大学(院)
Nathaniel Hawthorneの短編、“Rappaccini’s Daughter”のRappaccini 博士は「蒸留器の中で彼自身の心を蒸留(distill)してしまったほどの真の科学者」だとライバルの科学者Baglioni教授は表現するが、この作品では、「蒸留する(distill)」、「圧縮する(compress)」といった人為的に密度を高める行為を示す語、あるいは「集中した(intent)」、「過剰な(redundant)」といった密度の濃さを示す語、そして「燦爛たる(brilliant)」、「鮮烈な(vivid)」といった強烈な光を示唆する語が多用される。一方、孤島に住む魔術師Prosperoとその娘Mirandaという“Rappaccini’s Daughter”と類似したセッティングおよび人物関係の設定を持つShakespeareのThe Tempest では、Prosperoが魔法を解く場面で、「拡散する(dissolve)」、「溶ける(melt)」、「消えていく(fade)」といった語が用いられるが、これらの語は変容(metamorphosis)の隠喩を持ち、主題と結びついて劇の変化の方向を示すことが指摘されている。“Rappaccini’s Daughter”ではThe Tempest の場合とは逆に、人為的に濃度を高めることを示す語、人為的過剰さを示す語の多用によって、物語が反自然的変化の方向に進行していることが示されているといえる。
G.R.Elliottは、Prosperoが魔術を解く意志を示す場面は、直後に言及される“immortal Providence”の概念導入への準備であると指摘している。すなわち、自然を人為的に操作する魔術を放棄する行為は、人智を超越する「神の摂理(Providence)」への回帰であり、その変容の方向を示唆するのが「拡散する」、「溶ける」、「消えていく」という言葉だといえる。一方、Hawthorneは、The Blithedale Romance において、バランスを欠いた熱狂的社会改革者の心を「荒々しく搾り出され、不自然な方法で蒸留」されたアルコールに喩え、入水したZenobiaとHamlet のOpheliaのイメージを重ね合わせて、共同体の営みが自然のプロセス(Providence)に反することを描いている。Hawthorneにとって「蒸留」のイメージは、それを通して「神の摂理(Providence)」に反する過剰な人為性を表象させることのできる装置であり、“Rappaccini’s Daughter” においてもその機能を果たしているといえる。
本発表では、「蒸留する」というRappaccini博士の実験行為を示す語が、彼の科学至上主義という精神の偏向を示すだけでなく、世俗的な科学者Baglioniと未熟な青年Giovanniの心に巣くう嫉妬や不安が徐々に凝縮されて、Beatriceを心身ともに死に追いやる毒を生み出すプロセスにも反映されていることを論証する。そして、これらの、神と自然に反する変容(metamorphosis)のプロセスが、Hawthorne作品全般にわたって頻繁に導入される、作家の「神の摂理(Providence)」概念と深くかかわることを、The Blithedale Romance, “Earth’s Holocaust,” “The Old Manse,” Macbeth, The Tempest 等を援用して考察したい。