竹腰佳誉子 富山大学
Benjamin Franklinは、政治家、科学者、印刷業者、教育家など様々な肩書きおよび側面を持っているがそこに宗教家としてのFranklinをクローズアップし、彼の宗教的信念を固定化、限定化することは難しいと言える。John Adamsは早くからFranklinの宗教に対する曖昧な態度を指摘し、Barbara B. ObergとHarry S. Stoutが編集した著書のようにこれまで対照的に見られてきたJonathan EdwardsとFranklinの相違点だけでなく類似点にも焦点を当てて論じているものもある。
本発表において述べようとしていることは、Franklinに宗教家的側面があったのかどうかとか、あったとすればそれはどのような信仰の態度であったのか、あるいは当時の他の宗教家といかに違うのかというようなことではない。印刷業に身を投じた頃からあらゆるペンネームを使い分け、様々なキャラクターを演じていたイメージ戦略の達人ともいえるFranklinにそのような問いかけをすることはある意味愚問のように思われる。読者を楽しませ欺きながら自己を演出し、ひいては新生アメリカ共和国をヨーロッパに向けてアピールするエンターテイナーであるFranklinの言葉の裏には常に様々な仕掛けが見え隠れしているからである。
本発表では啓蒙主義的あるいはプラグマティックな部分が特に強調されているFranklinが宗教的側面も併せ持つこと、あるいは併せ持っているであろうと見なされていることそれ自体の意味するところを当時の社会情勢、宗教事情、特にFranklin とは一見すると何の共通点もないように思われるが、実際はFranklin同様にエンターテイナーであったと考えられるGeorge Whitefieldとの関係、そしてFranklinが従事した印刷業、出版文化などから読み解くことを目指す。Franklinの植民地の独立への関わりやその原動力を明らかにするとともにFranklin自身が当時の社会あるいは知識そのものを体現していることが分かるであろう。