慶應義塾大学(院) 志賀 俊介
インド系アメリカ人作家Jhumpa Lahiriの中編小説“Hema and Kaushik” (2008)において、感傷小説とロックンロールの二つの要素は切っても切り離せない。
アメリカ文学史上初の小説とされるWilliam Hill BrownによるThe Power of Sympathy (1789)のタイトルが示す通り、アメリカの建国とシンパシーの概念は密接に関係している。Lahiriは“Hema and Kaushik”の中にシンパシーを埋め込み、伝統的な感傷小説を再創造してみせた。
さらに、作中で言及されるThe Rolling StonesやJimi Hendrixといった1960年代のロックンロールに対する造詣の深さは、インド文化の影響が強いサイケデリック・ロックと無縁ではない。The Rolling StonesとHendrixは、大西洋を挟んだイギリスとアメリカの間を行き来し、黒人と白人の音楽スタイルを巧みに取り入れた。しかし、そこには表面上のスタイルに潜む人種的なニュアンスがあったことも忘れてはならない。The Rolling Stonesはアメリカの黒人ブルースの影響を色濃く反映した音楽を作り、聴衆の支持を得た。そしてHendrixはアメリカからイギリスに渡って白人が求める音楽を感じ取り、Jimi Hendrix Experienceを結成した。当時Hendrixが“Psychedelic Uncle Tom”と形容された事は、James BaldwinがHarriet Beecher StoweのUncle Tom’s Cabin (1852)について、作中の黒人達は白人の求める黒人の姿であると批判した事を想起させる。自身の黒人としてのエスニシティを白人の音楽スタイルの下に隠したHendrixは、黒人のコミュニティに受け入れられない事への不満を次第に募らせていき、晩年には奥底に潜めていた自身のエスニシティを爆発させるに至った。
“Hema and Kaushik”の主人公であるHemaとKaushikは、自身の感情を奥に秘めながら大西洋の上を行き来する。十代の頃に出会い、四十代になって再会した二人は、共通する感傷的な感情—Kaushikの母の死に対する感情—を奥底に沈めていた。作中に言及されるThe Rolling StonesのLet It Bleed (1969)に見られるLahiriのロックミュージックへの言及は、作者の描く感傷性のあり方を暗示する。そして、その内奥に秘められた感情は、アメリカ社会の中で生き延びるためにモデル・マイノリティを装うことで自身のエスニシティを隠さざるを得ないインド系移民と重なる。Kaushikが母の死に関して感情を爆発させ暴力的になる場面は、自身のエスニシティに意識的になり、1969年のウッドストック・コンサートでヴェトナム戦争の暴力性をギターで再現してみせたHendrixを思い起こさせる。そして再会を機に、HemaとKaushikはそれまで語る事のなかった感情を解放するが、二人が選んだ別々の道が示唆するものは、インド系移民のアメリカ社会における現実なのである。
本発表では、Lahiriが“Hema and Kaushik”において伝統的な感傷小説のスタイルを用いながら、インド文化の影響が色濃い1960年代のロックの要素を散りばめることで、いかにインド系移民の視点よりアメリカ史の再構築を試みたかを検証したい。