京都大学(院)尾島 智子
Ernest Hemingwayの最初期短編の一つ “Out of Season” についてのこれまでの研究では、作品世界そのものが十分に吟味されてきたとは言い難い。作品外の作家の実人生や彼自身の発言と関わらせたアプローチにおいては言うまでもなく、作品世界を対象とした場合でも、書かれていない部分を想像力で埋めるといった作業の中で、作品自体の分析がおろそかにされてきた。その結果、未だ作品の本質を解明するには至っていない。本発表では、言葉、イメージ、音の側面から作品を総合的に吟味しながら、物語で重要な機能を果たすwalking「歩行」を中心に、描かれている世界の意味を探りたい。
登場人物間のちぐはぐな関係性を描いたこの作品では、多くの場面が客観的描写の羅列で成り立っている。旅行者である夫婦が、主人公Peduzziと一緒に釣りに出かける道中、酒を買いに入った店の中の描写では、人物たちを描く簡潔な文がただ積み上げられているだけである。描かれる人間関係についても、それぞれの思いに従う人物たちに関わる記述が提示されているに過ぎない。
この作品全体も、実質的に相互に関連性のないエピソードの羅列によって成り立っている。そうした物語に一貫性を与えているのが、登場人物たちのwalkingである。三人が歩くという設定は、前半から各場面の冒頭で繰り返されている。walkingとそのイメージは、物語終盤における[f]音の連続的使用によって、読者に印象づけられている。主人公の言葉の中で多用されている[f]音は、walkingの本来の目的であるfishingを思い出させ、その不実現を読者に意識させていると言える。最後に読者の前には、歩行の空しさだけが、強く浮かび上がる。そうしたwalkingは、一見目的を持つかに見えながらその実、種々の出来事を抱えたままただ過ぎ行く日常の世界の比喩表現となっているのである。
Dewey Ganzelは、作品の第一版で認められた引用符の省略を取り上げている。引用符によって、受け手である読者が認識させられるはずの、会話文と地の文の間の区別が取り除かれている点を含めた表現上の特徴に言及するGanzelは、意味伝達の役割を担う“narrative authority”の欠如が、読者に意味の推測を促していると指摘する。引用符が取り払われることで、発話部分の自律性が抑えられたまま、人物の対話は提示されることになっている。語り手は、一貫性をもった意味伝達をあえて放棄したように見せる工夫をしているのである。こうして、読者は、無秩序に展開する世界をそのまま受け取らされることになる。このような物語のエピソードを繋ぎ、物語進行そのものを支えているのもまたwalkingである。噛み合わない登場人物たちの無目的な歩みと、不条理に語られ続けることで創造されるこの物語は、表裏の関係にあると言える。本発表では、この作品の独自性を主張するGanzelの議論を掘り下げると同時に、walkingの役割の解明を通じて、この作品の隠された本質に迫りたい。