北海道大学(院) 小塩 大輔
Flannery O’Connorの作品においては、体の部位に関連した表現の多さ、特に「口の表象」の多さが顕著である。Carter Martinら多くの研究者がO’Connor作品を象徴性から読み解こうと試みてきた一方で、O’Connor自身もまた、象徴性は物語中の細かな描写の意味が積み重なることで生じることを強調していた。では、一見些細ではあるが執拗に反復される口の表現にもまた、何らかの象徴的意味が含まれているのであろうか。本発表では、O’Connorの処女小説Wise Blood (1952)における口の表象が、主人公Hazel Motesの罪の所在を示すのみならず、O’Connorの創作に対する葛藤の一つの表現であることを明らかにしたい。
むろん、O’Connor作品における身体表象は、これまでしばしば議論されてきた。そのなかでも、身体的な欠損や目の表象に注目した先行研究は比較的多い。しかし、他の部位を含めた身体表象全般の重要性が認められ始めたのはごく最近のことである。Donald HardyのThe Body in Flannery O'Connor's Fiction (2007)は、O’Connorの身体表現を総合的に論じ、詳細な頻度分析により、O’Connor作品では顔、頭、目、口、脚などの表現が有意に多いことを明らかにしている。だが、Hardyらが主張するように、口の表象は他の身体表象と同じく、「グロテスク」な雰囲気の形成に寄与しているにすぎないのであろうか。
Wise Bloodにおける口の表象は、カトリック作家としてのO’Connorにとって主要なテーマである罪の問題を、言葉以外の方法で表現しているように思われる。例えば、偽りの盲目宣教師Hawksとその娘SabbathはHazelの口から罪の臭いを嗅ぎ取っている。加えて、 “WOE TO THE BLASPHEMER AND WHOREMONGER! WILL HELL SWALLOW YOU UP?”という”sign”をHazelは目撃する。冒涜的言葉で口による罪を犯しているHazelは、最終的に地獄の口に「飲み込まれて」しまうのであろうか。さらに、第2章では口の表象が姿を変えて繰り返され、決定的な罪の場面へと展開してゆく。街中の様々な”sign”に誘導されるようにしてトイレの個室に誘い込まれたHazelは、そこで売春婦の罪深い住所をメモする。その際に指に挟んでいた鉛筆のイメージは、次に乗るタクシー運転手の口の描写—煙草を唇の真ん中に咥えたまま動かさずにその両側から話している—へと変奏され、さらには売春婦の口から突き出された舌の描写にたどり着く。
偶然にも思われる鉛筆と口のイメージの共存は、同時期に書かれた短編作品”The Crop”における口に関する表象を経由したとき、新たな意義を帯びるであろう。その短編の主題は、複数の先行研究が指摘しているとおり、主人公の素人女性作家が抱えている作家としての葛藤である。そこでは、作家が抱える表現の困難さと口の表象が有機的に融合しているようにも思われるのである。Wise Bloodにおける口の表象という”sign”は、罪の在処、つまりHazelの口を指し示しながらも、同時に作家O’Connorの表現方法である執筆までもが冒涜的なものになりうる危険性を示唆しているのであろうか。本発表では、作品細部の分析からそのような創作の根幹に関わる問題へと議論を深めてゆきたい。