専修大学 並木 信明
美術史家Erwin Panofskyはギリシアのペロポネソス半島中央部の貧しい高原地帯Arcadiaがローマ帝国時代に詩人Vergiliusによって理想郷として歌われ、ルネサンスに"Et in arcadia ego."という文句が作り出され理想化されて現代に理想郷のイメージが伝えられたことを著書Meaning in the Visual Artsの中で明らかにしている。Panofskyは、恐らく17世紀にGiulio Rospigliosiが創作したと思われる"Et in arcadia ego"の本来の意味は、話者/私がかつて理想郷にいたことを懐かしんでいるのではなく、主語はdeathで理想郷でも死は免れないことを示しているが、ルネサンス以降前者の意味で解され、文句もetの後にegoに移されて話者/私が強調されるようになったと指摘する。The Sound and the Fury第1部のMr. Compsonのラテン語の引用文"Et ego in arcadia"は、したがって、過去の理想郷を懐かしむ近代のversionであることになる。
しかし、この作品では"Et in arcadia ego"は二重の意味を持つ。第1部のBenjy sectionでは、Dammudyの死に始まり、Quentin、Mr. Compson、そして黒人のRoskusらの死と葬儀が頻出して悲劇的テーマを浮き彫りにする一方、キリスト教のArcadiaであるEdenの象徴が示される。第1部ではCaddyが登る梨の木や蛇への言及があり、第2部ではQuentinがCaddyの木をEdenのapple treeとするなど楽園の象徴として頻出している。創世記ではEveがAdamのあばら骨から生まれたことになることから、キリスト教的には彼らは両性具有の象徴であり、二重性のテーマを生み出す根源となる。叔父のMauryと甥であるMaury(Benjyの元の名)、父のJasonと次男のJason、長男のQuentinと姪のQuentinなど同じ名前を持つが性格的にまったく対照的な人物が登場するなど、この作品では人物の反復と差異が二重性のテーマを演出している。
Poussinの"Et in arcadia ego"の絵は二種類あるが、いずれも羊飼いの若者が登場し、石棺に刻まれたその碑銘を見て驚いたり、解読しようとしている。葬儀や結婚式など重要な出来事の現場から遠ざけられているBenjyは、同じように謎を解き明かす立場にあるが、この作品で解読という作業を課せられているのは勿論読者である。妹Caddyの性的堕落をCompson家の血筋の堕落と捉え、その原因を解明しようとするQuentinもlife/destinyの謎の解読者であり、解読はFaulknerの作品の重要なテーマであり、特質だといえる。今回の発表では若きFaulknerが1925年にLouvre美術館を訪れたときにPoussinの絵を見た可能性も考慮しながら、The Sound and the Furyと"Et ego in arcadia"の相互関係を探求する。