慶應義塾大学(院)田ノ口 正悟
1854年3月31日は、日米外交史において重要な日となった。4隻の「黒船」を率いてやってきたMatthew C. Perryの要請を受けて、江戸幕府は神奈川条約に調印し、鎖国に終止符を打ったのである。日本を開国に導いたこの出来事の背後には、川澄哲夫の『黒船異聞』(2004)が指摘する通り、19世紀アメリカの基幹産業であった捕鯨業が介在する。捕鯨船とその乗組員の長く危険な航海を支えつつ、漁獲高を拡大するには、水や食料などを安定して確保できる中継地が必要であり、日本はそれにうってつけの場所に位置していたからである。
Perryによる日本遠征がアメリカ国内を賑わせていたのと同時期に創作を行っていたHerman Melvilleは、捕鯨業が日本の開国に重要な役割を果たしていることを認識していた。実際、彼の代表的長編小説Moby-Dick (1851)には、「二重にかんぬきのかかった」日本がもし開国するようなことがあれば、「その功績は捕鯨船にのみ帰せられるべきだろう」と述べられている。捕鯨業に対する日本の地理的重要性を認める一方で、彼の日本表象には人種的な他者意識も反映されていた。Elizabeth Schultzは“Whole Oceans Away”: Melville and the Pacific (2007)に収録された論文において、Moby-Dickを取り上げながら、不可思議なアジア人に対する他者意識がゴシック文学の手法でもって表現されていることを喝破した。
ここで見逃してはならないのは、日本とその開国はMelvilleにとって、アメリカの捕鯨業を支える地理的重要性を担う以上の、あるいは人種的他者意識を吐露する以上の役割を果たしていたことである。すなわち日本は、19世紀初頭から半ばにかけてアメリカが太平洋を舞台に帝国化して行く過程で、自身の正当性を証明するために不可欠な土地であったのである。この点を例証するために、本発表ではメルヴィル作品において繰り返し用いられている、ある表現に注目する。それはジャンク船(“junks”)である。Moby-Dick第16章“The Ship”において、語り手のIshmaelはQueequegと共に彼らが乗る捕鯨船を探す。そこで彼らは、物語の舞台となるピークォッド号と出会うのだが、その船がいかに風変わりであるかを語るために引き合いに出されるのが、「山のように高い帆を立てる日本のジャンク船」(“mountainous Japanese junks”)である。
ピークォッド号の奇怪さの背後に埋もれがちなジャンク船であるが、この船は第3長編Mardi (1849)から最後の長編The Confidence-Man (1857)に至るまで、Melville作品において繰り返し用いられてきたモチーフである。そしてこの船が重要なのは、そこにアメリカとヨーロッパの間で繰り広げられていた極東アジアへの覇権闘争の姿が映し出されているからである。このことを示すために、本発表では、当時の新聞や雑誌などから日本あるいはアジアに関する同時代言説を抽出しつつ、Melvilleの最後の短編である“The Piazza” (1856)の再読を行う。そうすることで、Paul GilesやYunte Huangらを中心とした環太平洋的アメリカ文学研究が進展する現在において、19世紀中葉における極東アジアの文学的表象に、半球規模の問題系が描き込まれていた可能性を示唆することができるからである。