久留米大学 (非常勤)松原 留美
ヘンリー・ソローがメイン州へ野性の探索を試みたのは、1846年、1853年、1857年の3度にわたる。それぞれの旅の様子は3章立てのThe Maine Woods (1864)の各章におさめられているが、この間は、ソローは9年の歳月をかけてWaldenを推敲し、1854年にようやく出版に至った時期に重なっている。この頃は、ソローが自然と対峙しながら自我と環境との関係性が変化させていく時であり、ローレンス・ビュエルはこの9年間の推敲を「ホモセントリズムからエコセントリズムにシフトしていくプロセス」という読み方をしている。そこで本発表では、以上のプロセスが、ソローが実践生活をもとに野性的な自然との関係を発見し、野性が自己の信念の核としていた「より高い法則」(Higher Laws)とどのような関係をもつものであることかということについて考察した過程であったことについて明らかにしたい。
また、本発表で取り扱う “The Allegash and East Branch”の章は、3度目の旅の7月から8月にかけてのものであるが、この旅について特筆すべきは、インディアンのガイド、ジョー・ポリスとのやり取りである。この章は、The Maine Woodsのほぼ半分を占めるが、ここでソローはポリスが語るインディアンの言葉を記録し、その語源について沈思したことや、またポリスの言動や行動に対して様々な印象を抱いたことを記しながら、彼の性格描写を全面に繰り広げている。
さらに、The Maine Woodsの中でソローが繰り返し使用する「原始的な」(primitive)という語には、野性のなかでもソローが「原始的」なものを求めたことがあらわれている。そして、ソローはこの原始的なものを上記のようなインディアンの言動や行動から探ろうとしているのである。つまり、インディアンがソローにとって特別であったのは、そのような「原始的」なものがインディアンの野蛮性(savageness)や伝統につながることを期待し、それが野性を説明するひとつの答えであったたからだと言える。しかし、このようなソローが抱いた野性全般の概念は、極めてキリスト教的である「より高い法則」(Higher Laws)には結び付き難いものである。そこで、特にこの点に留意して、本研究ではソローにとって野性が自己の思想の中でどのような位置をしめるものであるかを考察していく。
ソローの野性の追求のひとつの形として、このようなインディアン文化への興味があらわれている。現代では、1851年にコンコード・ライシーアムにて講演された「野性」を下敷きに書かれたエッセイ ‘Walking’ (1863)をソローの野性の文明論としているが、ソローの最大の興味の中心であった野性の問題は、彼の最後の作品The Maine Woodsの “The Allegash and East Branch”の章にこそ描き出されているのである。本研究では、ソローが最後に辿り着いた野性論をペノブスコット族ポリスとの交流の中に論じていく。