概要
近年のニューヨークの人々の分断の現状と、連帯の必要性の高まりを前提としながら、この論集は、一九二〇年代から二〇一〇年代までのニューヨークを舞台にした小説および演劇において、都市におけるマイノリティーの孤独の現実と連帯の可能性がどのように描かれているかを探求する目的をもって編まれた。取り上げる作品は、F・スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(一九二五年)、ジェシー・レドモン・フォーセット『プラムバン』(一九二八年)、ラルフ・エリスン『見えない人間』(一九五二年)、ジェイムズ・ボールドウィン『山にのぼりて告げよ』(一九五三年)、バーナード・マラマッド『アシスタント』(一九五七年)、トニー・クシュナー『エンジェルズ・イン・アメリカ』(一九九一―九二年)、ドン・デリーロ『マオⅡ』(一九九一年)、トニ・モリスン『ジャズ』(一九九二年)、シャーマン・アレクシー『リザベーション・ブルース』(一九九五年)、アヤド・アクタール『ディスグレイスト』(二〇一二年)である。この論集において扱われる小説あるいは演劇に共通するのは、分断された状況の中、いわゆるマイノリティーに属する人々の連帯への希望が彼らの行動を推進させているという点である。おそらくニューヨークを舞台とした小説や演劇において、都市におけるマイノリティーの分断と、そして連帯の可能性はこれからも重要な課題であり続けるだろう。(「序」より)
序―他者の歴史化に向けて
『グレート・ギャツビー』に見る連帯―ニューヨークの都市空間と人々
ハーレム・ルネサンス・シスターフッド―ジェシー・レドモン・フォーセット『プラムバン』における女性の連帯
都市の渇き、あるいはラルフ・エリスンの『見えない人間』における不定形な働きについて
「時間の外にある都市」―『山にのぼりて告げよ』におけるハーレムと教会
彼らは何を待ち続けていたのか―『アシスタント』における連帯の意味を問う
分断の時代における連帯という逆説―エイズ禍とアメリカ演劇
連帯の諸相―ドン・デリーロの『マオ2』におけるモノフォニーとポリフォニー
「都市生活は街路生活」―『ジャズ』における「シティ」と街路
『リザベーション・ブルース』における文化収奪
巨大都市NY、幻想の連帯―アヤド・アクタールの『ディスグレイスト』における他者化する自己との遭遇