1. 3.解剖する詩学―Dickinson と「切る」「切り開く」

3.解剖する詩学―Dickinson と「切る」「切り開く」

吉田 要 首都大学東京(院)


Emily Dickinsonはその詩作品において、自己の精神世界を「未知の大陸」として探索し、自己、意識、魂などについて断片的な精神世界を提示した。その断片化された精神世界に符合するかのように、彼女の詩作品では頭や顔、目、手足など、身体の一部分が断片化されて提示される。しかし、彼女の詩作品に提示されるのは外面的な身体だけに限らない。肺、腱、神経など身体内部が提示されることもある。それ以上に特異と思われるのは、脳が割れたり、四肢がバラバラになったり、骨や血管が露出したりするなど、身体にメスが入れられ、切り裂かれ、切り開かれる解剖のイメージが多く見受けられることだ。Dickinsonが「師匠」と呼んだThomas Wentworth Higginsonによって詩が批評されたとき、“Thank you for the surgery”(The Letters of Emily Dickinson 261番)という返答をしたり、Higginsonの酷評を受け容れる覚悟で、“I will be patient―constant, never reject your knife”(同316番)と述べたりしたことは、解剖のイメージの好例と言えるだろう。この例に見られるように、解剖されるのは人体だけに限らない。切開される対象は人の心、動物、植物などにも及ぶ。

本発表は、「解剖」をキーワードにして、Dickinsonの詩作品において「切る」イメージがどのように用いられているかを考察する試みである。切り裂いて中身を見る行為は、言語による分節化・分類化につながり、未知のものを知る探究心と結びつく。学校教育や雑誌の購読などで当時の諸科学の発展に触れていたDickinsonは、詩作品中で衒学的な科学者を揶揄し、科学的な言説に否定的な文句も示しているが、たとえ科学的言説に同調せずとも、科学的な思考手順をヒントに、ものの「内側」を覗く解剖という手法を用いたと考えることは可能だろう。この点を補強するために、「切る」、「切り開く」といった行為が19世紀中葉に持っていた意味にも触れ、Dickinsonの詩作品に見られる「切る」行為と科学的な「切る」行為との交点を探りたい。そして、Dickinsonが受けた教育、特に解剖学、生理学、植物学なども参照しながら、彼女にとって「切る」行為がどのような意味を持つのかを考察したい。具体的に扱うのは、音色の出所を探るべく裂かれるヒバリ、メスを振るう外科医、流される血などが描かれた詩が中心となるだろう。併せて、「切る」、「切り開く」といった行為に、顕微鏡がどのような役割を担っているのかも検証したい。