1. 4.主体と現実認識― Melville の "Benito Cereno"

4.主体と現実認識― Melville の "Benito Cereno"

佐々木 英哲 桃山学院大学


Herman Melvilleの“Benito Cereno”ではナイーヴなアメリカ人Amasa Delanoの視点で捉えられたスペイン奴隷船に関わる現実が展開する。その現実とは反乱黒人奴隷達によって偽造された現実でもあるが、Delano本人が無意識のうちに誤認し偽造した現実である。ところでFoucaultに倣えば、事態・現実を知る/監視する/管理することが可能な者は政治的知の主体として理想的ポジションが与えられている者と言えよう。今回の発表では、Delanoが現実を認識する知のプロセスを解きほぐし、どのように主体が産出され、どのように内部崩壊していくのか、そのメカニズムを論証する。

Delanoは中国産絹の仕入れに携わるから北部繊維産業に関わり間接的に南部奴隷制綿花産業にも加担する。1621年に渡米したPhillipe de la Noye に遡る名門の一員でカノニカルなアメリカ史を語れるポジションにある。歴史と言えば18世紀末という物語設定時代から南北戦争勃発前という作者の執筆時代にかけ、不穏な空気が漂っていた。スペイン奴隷船San Dominick号を連想させるカリブ海ヒスパニョーラ島Saint Domingo でのL’Ouvertureによる奴隷反乱(1804)やNat Turner事件(1831)は南部白人達を震撼させた。南部白人は黒人に「従順で子供っぽく、南部の平和と秩序に貢献する存在」とするサンボ・ステレオタイプ像を押しつけて主体的能動的な自己表現機能を奪い、自らの主体性を強化した。Delanoも狡猾に立ち回る黒人Baboを忠実なサンボと捉える。善良と描写されるDelanoは、まさに無垢故に無意識のうちにサンボ・イデオロギーを政治的に操作し北部資本主義のエリート白人として主体性を強化する。同時に彼は現実を理解する機能を著しく損なう結果を招く。Althusser の言を俟つまでもなく、主体が能動的に自らの考えをめぐらす前にその主体の見方を決定するのがイデオロギーであるからだ。Delanoは政治的知の主体としての特権性を強化しながらも、逆に知の特権的主体性を内側から崩壊させる皮肉な結果を招くわけだ。

さて中産階級白人女性主導によるセンチメンタル文化に傾斜する当時のアメリカで、特権的主体の担い手は形の上では依然エリート白人男性、正確を期せば異性愛主義男性だった。しかしDelanoは脱性化されている。イデオロギーで歪む想像上の現実界で孤高のエリートのBachelor's Delight号船長Delanoは、他者[=従順を装う知的で凶暴な黒人Babo、帝国アメリカの保護を必要とする(とみなされた)老大国スペインの人間Cereno]に向かっては保護/支配の立場をとりつつも、同性愛的な秋波を送る。事実、Delanoの目にはBaboとCerenoが“love-quarrel”のできる関係と映るし、差し向かいとなったDelanoとCerenoは“like a childless couple” と語り手から描写される。Delanoのジェンダー・トラブルに端を発する綻びは、勢い主体と人種に関わる神話の崩壊に拍車をかけることになる。

発表ではサンボ・イデオロギーを例証するサブカルチャー的事象を視野に収めつつフェミニズムも援用しながら検証を進め、北部資本主義を生きるDelanoが主体(subject) でも主人(master)でもなく、スレイヴ・ディスコースに於ける奴隷(slave) となんら変わらぬポジションにあることを結論的に提示する予定である。