1. 2.The Marble Faun における彫刻の位置

2.The Marble Faun における彫刻の位置

竹野 富美子


Nathaniel Hawthorneの The Marble Faun (1860)は近年、そこに登場する視覚芸術の扱いと共に、そのまなざしに焦点が当てられてきている。Mark A. R. Kemp は当時のイタリアの政治的背景をふまえながら、登場人物Donatelloを他者として描くHawthorneに帝国主義的な視線を見出し、Nancy Proctorは実際に存在していた女性彫刻家たちが、この作品の中では、女性の彫刻として見られる対象へと抑圧されていると論じている。しかし、この作品の視点を分析するためには、一方向的な視線の問題と同時に、Rita K. Gollin も指摘するように、芸術家、芸術作品、そして鑑賞者との相互関係を考慮しなくてはならない。ヒルダの鑑賞能力についての議論や、序文での「同情、共感に満ちた批評家」待望論にも見られるように、Hawthorne は芸術作品の鑑賞に見る者の参加を要求し、それが物語の展開の核となっているからだ

Hawthorne が表現しようとした芸術家、芸術作品、そして鑑賞者との相互関係は、ローマという舞台設定と密接なつながりを持っている。この作品に登場する聖ピエトロ大聖堂やトレヴィの泉といった、鑑賞するためには「空間性と空間の中で、身体の全てを介して感じる」(千葉真智子)ことを必要とするバロック建築は、Hawthorne の考える、鑑賞者と芸術作品の相互関係のための理想的な場を提供しているようだ。「全くのところ、現実にイタリアに行って見なければ、我々アメリカ人は真の大理石とはどんなものか、知ってさえもいないのだ」といった表現、他の場所に移せないモンテ・ベニのワインなど、この小説で繰り返し強調されるのは、このような「ここにいること」「ここに存在して実際に経験すること」の重要性だ。

本発表では The Marble Faun に登場する彫刻とそれを内包するローマという都市に焦点をあて、この小説に見られる空間性、同時性を分析することで、Hawthorneの視線の行方を辿る。「このドナテロの未完の彫像を観照することから、もともと我々の彼の物語に対する関心が生じ」物語が成立したのだと語られるように、この物語の中心には彫刻がある。ペルジアの大広場の中心に座す教皇像、発掘途中のアッピア街道の廃墟に転がる女神像など、彫刻は特定の場所と密接な関わりを持って小説に登場する。「素材を用いて三次元空間に立体形象を造形する芸術形式」(小学館大百科全書)として、彫刻は他の芸術形式よりも、同じ空間を共有する、つまり「ここにいて」鑑賞に参加することが、より必要となると言うこともできるだろう。

絵画は、ここでは彫刻と対比するかのように提示されている。巨匠たちの作品という「富をもっと広く人々の間に普及させ」ようと写生に励み、それらの絵を美術館や礼拝所から「白日の下に持来たらし」「広く人々のものとなさしめ」ようとすることで、彫刻とは反対に、空間を超越する力を秘めているように見えるHilda、彫刻を時代遅れのジャンルと断罪し、「絵画にはもっと巾広さや自由がある」と考えるMiriamは、このロマンスでどのような役割を果たすのか。南北戦争前夜という作品が書かれた時代背景を考慮に入れながら、分析を試みたい。