1. 封印された「先住民」表象とその呪縛 ―― Leslie Marmon Silkoの Gardens in the Dunes における交差するエスニシティの非 −関係性( dis -relation)

封印された「先住民」表象とその呪縛 ―― Leslie Marmon Silkoの Gardens in the Dunes における交差するエスニシティの非 −関係性( dis -relation)

立命館大学 田林  葉


Gardens in the Dunes (1999)は、次の二点においてこれまでの他の作品と大きく異なっている。第一にこれまでの作品の背景は概ね同時代であったが、ここでは1900年代と約100年前に設定されている。第二に、これまでの作品の主人公が先住民系アメリカ人であったのに対し、この作品では主人公の一人であるHattieは若い白人女性である。

1900年代の先住民の通俗的・社会的な表象は一般的に、「野蛮・未開」な「インディアン」であり、それは文明化の「素材」であり対象であった。その後公民権運動を経て平等主義の理念が普及するにつれ、このような表象は公然とは流通しなくなる。しかし、そのことは「野蛮・未開」の表象が消失したことを意味しない。むしろ、公然とは見られ聞かれることのなくなった差別感情が、個人の内面に封印され、残存し、ときには肥大化し、私的な会話世界でしか姿を現わさなくなる。平等主義が充満する前の時代に舞台を遡及させることにより、この作品は、平等主義の封印を解き、先住民表象の残像を改めて浮き彫りにしたといえよう。

もう一人の主人公Indigoは南西部の先住民Sand Lizardの11歳の孤児である。彼女はキリスト教の寄宿学校に入学したものの逃亡し、Hattieのカリフォルニアの屋敷に迷い込み、その後東海岸からヨーロッパへとHattieの夫とともに旅行に出かける。このような登場人物およびストーリーの設定はいったい何を意味しているのか。

この作品で設定されている裕福な白人女性と先住民の孤児の関係は、大人と子どもの差異(強−弱、保護−被保護の関係)に還元されうるものであり、平等主義の理念に反することはない。大人の白人と先住民の関係が設定されたならば、関係性のリアリティを保つためには、Ceremony (1977)のように、抑圧―被抑圧関係を告発することになっていただろう。成年の裕福な白人女性と先住民の孤児という擬制的関係だからこそ、平等主義の戒律の侵犯を恐れることなく、白人と先住民の関係をリアルに描きだすことができたといえるだろう。

二人が脱セックスの関係であることにも注目したい。生身の人間が触れ合うセックスにおいては、肌の色、質感の違いを敏感に感じざるをえず、エスニシティにかかわりのない格差とそれにまつわる感情が噴出する。大人と子どもが関係しあうストーリーは、セックスにかかわる差異、すなわちコントロールすべき変数をノイズとして消し去り、アメリカ社会における先住民の表象それ自体を描きだす効果をもっているのである。

IndigoとHattieはお互いに愛着を抱きながら別々の道を歩む、これが作品の結末である。この作品は白人と先住民が交わる様を描きながら、その関係の困難性(非−関係性)に光を当てることにより、「先住民」表象の呪縛の強さを改めて示しているのだ。