1. 2.The Confessions of Nat Turner ――「贖罪」の渇望

2.The Confessions of Nat Turner ――「贖罪」の渇望

渡邉 教一 弘前学院大学


1831年、8月21日、ある一人の実在した黒人奴隷がVirginia州で数人の仲間の奴隷達を率いて反乱を起こし、白人の農場主やその家族計55人を惨殺したが、結局、この暴動は失敗に終わり、彼は絞首刑に処せられた。William Styronはこの「Nat Turnerの反乱」という歴史的事実に基づいて The Confessions of Nat Turner を創作した。従って、この作品は、いわば、「歴史小説」といえる。だが、一体なぜStyronはこれを自由に黒人の主人公を造型した「黒人小説」の型ではなく、あえて歴史上の人物を引きずり出し、その人物を再創造してまで「歴史小説」の仕組みにしたのだろうか。この疑問を解明するためには「歴史小説」の定義を明らかにする必要があるが、その際、日本の歴史小説家司馬遼太郎の定義とStyronのそれを対比する方法でそれを明らかにし、Styronがこの作品を「歴史小説」の仕組みにしたその思惑を探ってみたい。

ところで、この The Confessions of Nat Turner の主人公Nat TurnerはTurner一家が経営する農場で黒人奴隷の子として生まれ、奴隷として従順に働く一方、Nat Turnerはこの農場の主人Marse Samuel Turnerに父親のような情愛を注がれて成長し、且つ、聖書への深い知識を養っていく。だが、農場経営が苦しくなり、ついに、Nat Turnerは心ならずも別の主人の元で働かざるをえなくなり、そこで動物並の処遇を受けながら働かされているうち、次第にNat Turnerは一個の人間としての自我に目覚め、徐徐に黒人を獣扱いにして虐げる白人農場主への憎しみをつのらせていく。そして、つまるところ、白人に対する憎悪、怨念を極限までつのらせたNat Turnerは反乱軍を結成し、彼ら白人達をしらみつぶしにまるで屠殺する如く虐殺していく。

とはいえ、厳密にいえば、作者は本作品中でNat Turnerが自らの恩人であるMarse Samuel Turnerまでも虐殺したとは一言も記述していない。そうだとすれば、いかに非情きわまりない殺人鬼と化したNat Turnerといえどもさすがに己にとってかけがえのない恩人Marse Samuel Turnerへの襲撃は思いとどまり、逆に彼の命を守ろうとさえしたのではないか。つまり、Nat Turnerが己の恩人を虐殺し得なかったのは己の心の奥底に一握りの「良心」の窮極が残存していたためだったと考えられはしまいか。なんとなれば、逆にNat Turnerが心の父ともいえる恩人までも惨殺したとなれば、本作品は単なる冷血非情の殺人鬼と化した野獣人間の血なまぐさい話にすぎなくなり、作者Styronの従来一貫した窮極の理念とする「人間信頼」の思想に全く反するものになるからである。それ故、Styronが必定本作品に潜ませたと考えられる私のこの仮説の根拠になり得る場面を吟味することによりNat Turnerの「良心の呵責」を突き止めてみたい。

最後に、Styronが本作品の巻頭に付した「エピグラフ」の意図を解明しなければなるまい。なぜならば、この「エピグラフ」には、彼が本作品を「歴史小説」の仕組みにした思惑に対する己の「償い」の思いが隠されているからである。