1. 3.「失われた」 A Moveable Feast ――Mary Hemingwayの編纂方法とその問題点

3.「失われた」 A Moveable Feast ――Mary Hemingwayの編纂方法とその問題点

杉本 香織 早稲田大学


A Moveable Feast はErnest Hemingway(1899-1961)が1957年から60年にかけて断続的に執筆、彼の死後、妻Maryによる編纂を経て、1964年に出版された「パリ・スケッチ集」である。1920年代前半を舞台にした計20章からなるこの作品では、作家として駆け出しだったHemingwayの、貧しいながらもFitzgeraldやGertrude Steinらといった先輩作家との親交に満ちたパリ時代が鮮やかに再現されている。特に第3章で紹介されるSteinのセリフ「あなたたちは失われた世代です(You are a lost generation)」は、Hemingwayの最初の長編小説 The Sun Also Rises (1926)でも用いられ、第一次大戦時に青年期を迎えた世代を象徴する言葉として普及されるまでになった。

しかしこの作品は果たして、1920年代当時のパリとHemingwayを映し出すだけの「スケッチ集」なのだろうか。Hemingwayが遺した複数の序文および跋文の草稿には、想起される事柄の可変性と操作性、そしてこの作品がfictionであることが繰り返し述べられている。これらから垣間見えるのは、「20年代の等身大のHemingway」というより、むしろ20年代の自身を操ろうとする「50年代のHemingway」の姿である。ところが多くの先行研究は、この作品がnonfictionであることを前提に、作中のエピソードと彼の伝記的事実との照合に躍起になっているきらいがある。

この傾向を生み出した要因のひとつは、A Moveable Feast を編纂したMaryの編纂方法にあったというのが私見である。ボストンにあるJFK図書館内「ヘミングウェイ・コレクション」には、当作品のオリジナル原稿が所蔵・公開されており、序文や跋文の草稿だけでなく、彼女によってカットされた章や語句の修正痕など、Mary編纂の形跡を細かく追うことができる。そしてそれらを検証していくと、彼女がオリジナル原稿から「50年代のHemingway」を切り離し、「20年代のHemingway」のみを前景化しようとした思惑が浮かび上がってくる。

そこで本発表では、Maryの編纂方法を検証することにより、この作品に対するHemingwayの作意が、彼女によっていかに「失われた」かを明らかにしていく。具体的には、彼女による章の入れ替えや、主人公Hemingwayを指す人称のゆらぎ(you / I)の統一、および複数の場面・文章のカットがオリジナル原稿に及ぼした影響を考察する。また人称の問題については、同じく人称のゆらぎが見られる他の死後出版作品群の中に位置づけることにより、Hemingwayが後年の作品において構築しようとした公的な「Hemingway像」の推移を追っていきたい。