1. 2.奴隷解放運動における思想家Emersonの立場

2.奴隷解放運動における思想家Emersonの立場

小倉いずみ 大東文化大学


Emersonは代表作Nature (1836)や “The American Scholar” (1837)、 “The Divinity School Address” (1838)が出版された1830年代に研究の軸が置かれる傾向があり、哲学者としてのイメージが強く、奴隷解放については積極的な発言をしていないと非難されてきた。Emersonの伝記を書いたOliver Wendell Holmesをはじめ、歴史家のGeorge M. Fredricksonや文学者のAnne C. Roseは、Emersonは個人主義を重視するあまり、政治と距離を置いて冷めたところがあり、思想自体は抽象的であったと述べている。

Len Gougeon のVirtue’s Hero (1990) は消極的な解釈を修正し、彼とJoel Myersonが編集したEmerson’s Antislavery Writings (1995)は、Emersonが奴隷解放について多くの講演をしたことを証明している。本発表はGougeonの編著に加えてThe Journals and Miscellaneous Notebooks of Ralph Waldo Emerson (JMN)をもとに、1840年代以降のEmersonの黒人奴隷制とのかかわりをたどり、個人主義や自己信頼を柱としたEmersonの思想と、奴隷解放という政治運動や連邦政府という大きな組織の維持が、彼の心の中でどのように融合しえたのかを探ってみたい。

1844年に行われた講演“Address on the Anniversary of Emancipation of Negroes in the British West Indies”では、英国領西インド諸島の奴隷解放までの歴史を詳細に述べ、アメリカにおける奴隷制という犯罪を黙認してはならないと主張する。「1850年の妥協」に含まれた逃亡奴隷法については、翌年Emersonは講演“The Fugitive Slave Law: Address to Citizens of Concord”を行うが、法案を支持したDaniel Websterを名指して “treachery” (W, 11:181)と呼んでいる。

1850年代前半のEmersonの講演では、政治とのかかわりに関して逡巡が見られるが、1850年代以降のJMNでは、政治家や連邦最高裁判所、憲法や独立宣言などの言葉が頻出する。奴隷解放運動に関してはNotebook WO Liberty (JMN, 14: 373-430)、南北戦争に関してはJournal War (JMN, 15: 169-233) に多くの記述が見られる。講演が怒号で中断されてもEmersonは続け、最高裁判例のDred Scott v. Sandford (1857) に対してはRoger Taney長官の法廷意見を詳細に読んでいることがうかがえる。

1860年にLincolnが大統領選挙に勝利したことを、Emersonは“the pronunciation of the masses of America against Slavery” (JMN, 14: 363)であると記している。Emersonは1862年にLincolnに面会するが、その人格に感銘を受けつつも、奴隷解放宣言が出されないことを不満に思う。また南部同盟が英仏からの国家承認を得ようとする動きに憂慮して、JMNに緊急事態を記すなど、Emersonと政治の関係が深まっていることがわかる。本発表では当時講演を通して世論に影響力を持っていた思想家Emersonが、いかに奴隷解放という政治運動にかかわったのかを探ってみたい。