1. 第5室(1号館4階 141教室)

第5室(1号館4階 141教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
小谷 耕二

1.John Steinbeck のTo a God Unknown を読む ――ケルト文化から見た一考察

  酒井 康宏 : 米子工業高等専門学校

2.The Confessions of Nat Turner ――「贖罪」の渇望

  渡邉 教 一 : 弘前学院大学

楢崎  寛

3.依存・共存・自己実現――思索小説として読む The Adventures of Augie March

  岩橋 浩幸 : 大阪大学(院)

植木 照代

4.ペーパー・サン―― China Men、Paper Angels、Paper Son に描かれた排斥時代の中国系移民の苦闘

  池野みさお : 津田塾大学



酒井 康宏 米子工業高等専門学校


スタインベックの初期の傑作、To a God Unknown (1933)には、多くの学者や批評家が指摘しているように、心理学的、哲学的、宗教的な側面があり、なかでもピーター・リスカが指摘しているように、この作品のエピグラフに関しては、「スタインベックはもともと、10連から成るピラニアガルバの讃歌のうち最初と最後のスタンザを省き、5〜8番目のスタンザに手を加え、全体で9連から成るエピグラフ」を作り上げており、このことは中山喜代市氏のご指摘のとおり、「それは明らかに八百万の神々のうえに立つ最高の神を称えるとともに、その未知なるがゆえに、『犠牲を捧げる神』への探求を意味する味わい深い讃歌となっている。そして、ここで示唆された最高神は、キリストのそれではなく、異教の神である」ことは言うまでもない。

この考えは、まさにケルト文化における神に対する考えとほぼ同一である。この作品がケルト的な色合いをもつのは、スタインベック文筆能力の高さに他ならない。スタインベックの文筆能力は幼年期から少年期にかけて読み聞かせをしてもらった母親の影響が大変強い。しかもその母親の祖先は、北アイルランドであり、スタインベックに意識的に、また無意識的にケルト文化の影響を与えていると仮定できる。

ケルト文化研究の第一人者である鶴岡真弓氏は、「ケルト文化が世界文化の源流である」とする大胆な仮説を提示しておられるが、もしこれが真実なら、この作品の従来の解釈、インド哲学から見た樹木信仰のアプローチもケルト文化のひとつの研究領域と考えることが可能になり、これまでにない大変興味深い作品解釈になるので、発表ではこのあたりも明らかにしていきたい。

本発表では、この作品を特に作品全体の基盤をなす樹木信仰を「ドルイディズム」の観点から考察し、スタインベックの「ファランクス論」をケルト文化に根ざした自然観並びに宇宙観から考察したいと考えている。


渡邉 教一 弘前学院大学


1831年、8月21日、ある一人の実在した黒人奴隷がVirginia州で数人の仲間の奴隷達を率いて反乱を起こし、白人の農場主やその家族計55人を惨殺したが、結局、この暴動は失敗に終わり、彼は絞首刑に処せられた。William Styronはこの「Nat Turnerの反乱」という歴史的事実に基づいて The Confessions of Nat Turner を創作した。従って、この作品は、いわば、「歴史小説」といえる。だが、一体なぜStyronはこれを自由に黒人の主人公を造型した「黒人小説」の型ではなく、あえて歴史上の人物を引きずり出し、その人物を再創造してまで「歴史小説」の仕組みにしたのだろうか。この疑問を解明するためには「歴史小説」の定義を明らかにする必要があるが、その際、日本の歴史小説家司馬遼太郎の定義とStyronのそれを対比する方法でそれを明らかにし、Styronがこの作品を「歴史小説」の仕組みにしたその思惑を探ってみたい。

ところで、この The Confessions of Nat Turner の主人公Nat TurnerはTurner一家が経営する農場で黒人奴隷の子として生まれ、奴隷として従順に働く一方、Nat Turnerはこの農場の主人Marse Samuel Turnerに父親のような情愛を注がれて成長し、且つ、聖書への深い知識を養っていく。だが、農場経営が苦しくなり、ついに、Nat Turnerは心ならずも別の主人の元で働かざるをえなくなり、そこで動物並の処遇を受けながら働かされているうち、次第にNat Turnerは一個の人間としての自我に目覚め、徐徐に黒人を獣扱いにして虐げる白人農場主への憎しみをつのらせていく。そして、つまるところ、白人に対する憎悪、怨念を極限までつのらせたNat Turnerは反乱軍を結成し、彼ら白人達をしらみつぶしにまるで屠殺する如く虐殺していく。

とはいえ、厳密にいえば、作者は本作品中でNat Turnerが自らの恩人であるMarse Samuel Turnerまでも虐殺したとは一言も記述していない。そうだとすれば、いかに非情きわまりない殺人鬼と化したNat Turnerといえどもさすがに己にとってかけがえのない恩人Marse Samuel Turnerへの襲撃は思いとどまり、逆に彼の命を守ろうとさえしたのではないか。つまり、Nat Turnerが己の恩人を虐殺し得なかったのは己の心の奥底に一握りの「良心」の窮極が残存していたためだったと考えられはしまいか。なんとなれば、逆にNat Turnerが心の父ともいえる恩人までも惨殺したとなれば、本作品は単なる冷血非情の殺人鬼と化した野獣人間の血なまぐさい話にすぎなくなり、作者Styronの従来一貫した窮極の理念とする「人間信頼」の思想に全く反するものになるからである。それ故、Styronが必定本作品に潜ませたと考えられる私のこの仮説の根拠になり得る場面を吟味することによりNat Turnerの「良心の呵責」を突き止めてみたい。

最後に、Styronが本作品の巻頭に付した「エピグラフ」の意図を解明しなければなるまい。なぜならば、この「エピグラフ」には、彼が本作品を「歴史小説」の仕組みにした思惑に対する己の「償い」の思いが隠されているからである。


岩橋 浩幸 大阪大学(院)


Saul Bellowの第3長編 The Adventures of Augie March (1953)(以下AAM と略記)は、全米図書賞に輝き、Bellowの名を一躍有名にした彼の出世作であり、また、Bellow自身がHerzog (1964)出版後のインタビューの中で、「AAM を境に、私は自由な文体を獲得した」と述べていることからも分かるように、彼の作家人生の転機を画した記念碑的作品である。だが、これを受けて、文体論研究をはじめとした多くの先行研究は、「Bellowが AAM をきっかけに Dangling Man (1944)及び The Victim (1947)からどう変わったか」ということにばかり関心を払い、陰鬱な思索小説から明るく伸びやかなピカレスク小説への移行ということに、その議論を終始させてきた。もっとも、「人生の中軸線」、「よりよき運命」といった、一見明るく肯定的に聞こえるいくつかの形而上学的キーワードは、しばしば議論の俎上に載せられてきたが、それにしても、ピカレスク小説、あるいは冒険小説というあたかも自明であるかの前提から、その議論が出発しており、AAM が孕む思索の細部にまで踏み込んだ議論はこれまであまりなされてこなかったように思われる。

そこで、本発表では、AAM をBellowの初期作品の流れを汲む思索小説として改めて読み直す。具体的には、作品の最終章半ばに到達するまでの回想物語に含まれる種々の議論や哲学的考察を主人公Augieの思索と捉え、思索の役割を、作品終末部においても依然として果たされない、「相互理解を前提とした、他者との共存」を彼が今後果たそうと模索していくための手段と定義する。というのも、彼の、自己をこれまで成型してきた膨大な数の他者を次々と描写してゆく態度からは、自分はどこまで他者の思索についてゆけるか、他者はどこまで自分の思索を理解し、ついてきてくれるかという問題意識が常に垣間見えるからである。

だが、そのような理想的共存を目指し、その思索を深めれば深めるほど、思索の中身をコンパクトに要約して相手に伝えることはますます困難になってしまう。そして、その結果、互いの主義主張が結局のところ理解されないまま、Augieは、一方的依存という逆説的現実に陥ってしまうのである。しかしながら、そういったジレンマにもかかわらず、彼はその思索を決してやめようとせず、共存という名の自己実現をひたすら目指す。彼をそこまで思索に駆り立てるものとは何なのか。彼は何故、依存を嫌悪し、自己実現を目指すのか。これらの問いを足掛かりに、Dangling Man やThe Victim にも言及しながら、ピカレスク小説という側面にのみ光を当てていたのでは中々見えてこないように思われる、思索小説としてのAAM の可能性を追求してみたい。


池野みさお 津田塾大学


Maxine Hong Kingstonの China Men (1977) には、多くの中国系移民たちが「ペーパー・サン」として、すなわちアメリカに渡ったという記述がある。1840年代末にカリフォルニアでゴールドラッシュが始まり、鉄道建設をはじめとする西部開拓においても大量の労働力を必要としたアメリカを目指し、大勢の中国人がやって来た。Kingston自身の父親を思わせる語り手の父親も、曽祖父や祖父たちの世代と同様、金山の夢にとらわれる。しかし、彼がアメリカ行きを決意した1924年というのは、いわゆる排日移民法が制定された、アジア系移民に対する排斥の動きが最も厳しい時代であった。中国人に対してはすでに1882年の段階で、中国人排斥法が成立している。大陸横断鉄道完成後、建設の仕事を離れた1万人超の中国人たちによって、自分たちの職域が侵されることに反感を抱いた白人労働者たちによる排斥運動の結果であった。以後、1943年にいたるまで、商人とその家族、留学生、外交官等を除く中国人の入国は禁止されることになる。

こうした厳しい状況の中で中国人たちが編み出した苦肉の策が、ペーパー・サンの呼び寄せである。ペーパーとは、アメリカ市民の息子であることを証明するための書類である。1906年のサンフランシスコ大地震によって市民権証書をはじめ移民関係の書類が焼失した後は、多くの中国人にとってアメリカ生まれであることを申し立てることが可能となった。彼らはさらに中国に戻って結婚して子どもが生まれたと主張し、それを証明する書類をも手に入れる。この書類を購入した中国人がペーパー・サンとしてアメリカに渡るのである。

China Men には、語り手の父親が、合法的な自分自身のペーパー以外に何度も繰り返し使用されたペーパーを購入したというくだりがある。彼がこのようなことをした背後には、中国人にはとりわけ厳しい移民審査が行われたという事実がある。微に入り細をうがった尋問に対抗するために中国人たちはコーチ本まで用意し、それを暗記して面接に臨んだという。

Genny Limの Paper Angels (1978)は、1910年から1940年までの間実際に移民審査が行われたエンジェル島の移民拘留所を舞台にした一幕ものの劇である。ここには、ペーパー・サン/ドーターとして入国を果そうとする中国人たちが通訳をまじえて面接を受ける様子や、長いときには3年にも及ぶ拘留生活に苦しむ様子が描かれている。Limはこの作品を書く2年前に、エンジェル島の移民拘留所の壁に書かれた中国語の詩を翻訳し、移民にインタヴューを行うという口述歴史のプロジェクトに関っている。Lim自身エンジェル島で審査を受けた移民の子孫であることもあり、作品中の登場人物たちの対話は実に真に迫っている。

最後に取り上げるTung Pok Chinの Paper Son (2000)は、筆者自らペーパー・サンであることを明らかにし、その苦闘と生涯について語った自伝である。1934年に19歳でボストンに到着したChinは、わずか3日間尋問を受けただけで入国を許可される。が、多額の借金を抱えてスタートしたアメリカでの洗濯業者としての生活は決して楽なものではなかった。さらに、マッカーシズムの時代には、中国共産党を支持する中国系移民をとらえようとするFBIから執拗に訪問を受けたりもする。

本発表では、時代とアプローチの仕方の異なる以上の3作品を用いて、排斥時代に中国系移民のアメリカ入国を可能にしたペーパー・サンのシステムと彼らの苦闘について考えてみたい。