1. 第1室(1号館2階 121教室)

第1室(1号館2階 121教室)

開始時刻
1. 午後2時00分 2. 午後2時55分
3. 午後3時50分 4. 午後4時45分(終了5時30分)
司会 内容
林 以知郎

1.宗教家Franklinと彼の大いなる野望

  竹腰佳誉子 : 富山大学

2.Catharine Maria Sedgwick, A New-England Tale におけるPuritan Aesthetics

  増井志津代 : 上智大学

福岡 和子

3.「色」から見る“The Paradise of Bachelors and the Tartarus of Maids”

  小林  徹 : 防衛大学校

4.アメリカン・ダイアレクティクスの行方――DonatelloとBilly Buddを焦点に

  竹内 勝徳 : 鹿児島大学



竹腰佳誉子 富山大学


Benjamin Franklinは、政治家、科学者、印刷業者、教育家など様々な肩書きおよび側面を持っているがそこに宗教家としてのFranklinをクローズアップし、彼の宗教的信念を固定化、限定化することは難しいと言える。John Adamsは早くからFranklinの宗教に対する曖昧な態度を指摘し、Barbara B. ObergとHarry S. Stoutが編集した著書のようにこれまで対照的に見られてきたJonathan EdwardsとFranklinの相違点だけでなく類似点にも焦点を当てて論じているものもある。

本発表において述べようとしていることは、Franklinに宗教家的側面があったのかどうかとか、あったとすればそれはどのような信仰の態度であったのか、あるいは当時の他の宗教家といかに違うのかというようなことではない。印刷業に身を投じた頃からあらゆるペンネームを使い分け、様々なキャラクターを演じていたイメージ戦略の達人ともいえるFranklinにそのような問いかけをすることはある意味愚問のように思われる。読者を楽しませ欺きながら自己を演出し、ひいては新生アメリカ共和国をヨーロッパに向けてアピールするエンターテイナーであるFranklinの言葉の裏には常に様々な仕掛けが見え隠れしているからである。

本発表では啓蒙主義的あるいはプラグマティックな部分が特に強調されているFranklinが宗教的側面も併せ持つこと、あるいは併せ持っているであろうと見なされていることそれ自体の意味するところを当時の社会情勢、宗教事情、特にFranklin とは一見すると何の共通点もないように思われるが、実際はFranklin同様にエンターテイナーであったと考えられるGeorge Whitefieldとの関係、そしてFranklinが従事した印刷業、出版文化などから読み解くことを目指す。Franklinの植民地の独立への関わりやその原動力を明らかにするとともにFranklin自身が当時の社会あるいは知識そのものを体現していることが分かるであろう。


上智大学 増井志津代


本発表では、Catharine Maria Sedgwick作品とPuritan文学の関連性に注目する。Sedgwickは共和国アメリカを支える新しい宗教の役割を摸索しながら、A New-England Tale を執筆した。作品は当初、ユニテリアンのトラクトとして構想された。彼女はCromwellに任じられたジャマイカ総督を父祖とする家系の出身で、一族はマサチューセッツ西部地域で代々勢力を保持していた。祖先には、Solomon StoddardやJonathan Edwards等、植民地時代のPuritanismを代表する牧師達も含まれる。詩人Edward Taylorが牧師を務めたのもこの地域の教会においてであった。18世紀、マサチューセッツ西部は、StoddardやEdwardsのリヴァイヴァリズムの影響下に置かれ、保守カルヴァン主義の根付いた地域である。A New-England Tale では、こうした伝統が残る小さな村が舞台となる。

StoddardやEdwardsは、個人の回心体験を重要視するNew England PuritanismのPreparationismに基づく救済理解を再確認し、信仰復興運動の指導者となった。1720年代、そして1730-40年代、マサチューセッツ西部コネチカット渓谷一帯は、第一次大覚醒運動の影響下に入る。Stoddardが始めた、個人の罪を強調する「地獄の炎の説教」(hell-fire sermon)は、後世にまで引き継がれ、独立革命後の第二次大覚醒運動へと継承されていく。A New-England Tale が執筆された19世紀初頭は、第二次大覚醒を経た直後で、回心中心的福音主義に則った信仰復興集会がパターン化し、辺境地域の教会の重要な活動となっていた。

リヴァイヴァルは教会分裂を促進し、大覚醒後には多くの新教派が誕生した。作品では、第二次大覚醒後に勢力を伸ばした福音主義的なメソジスト、植民地時代には周縁に置かれていたクェイカーが、主流の正統的会衆派と対比され、肯定的に描かれている。

本作品執筆の頃、Sedgwickはユニテリアンとなり伝統的カルヴァン主義を強く批判したのであるが、会衆派正統主義をしりぞける彼女の態度は、さしたる反発を招くことなく、作品は、若い女性を読者対象とする比較的健全な作品として受入れられた。Mrs. Wilsonに代表されるカリカチュア化された極端なカルヴァン主義者を登場させ、正統主義批判を前面に出したこの作品が受容された要因はどこにあったのだろうか。Natural TypologyやBiblical Encomium等、作品に散りばめられたPuritan文学伝来の修辞的特徴に注目すると共に、これが執筆された19世紀初頭ニューイングランドの宗教文化にも目を配る。その上で、反カルヴァン主義的なこの作品が、Puritanismの文学的伝統の残る19世紀初頭のニューイングランドで、どのような位置を占めたのか、David S. ReynoldsやLawrence Buell等の先行研究を参考にしながら解明を目指す。


小林  徹 防衛大学校


Herman Melvilleの“The Paradise of Bachelors and the Tartarus of Maids”を、そのタイトルが示している対照的構造というスタイルに着目しながら、「色」という表象を通して語り手が語ろうとしたことが何であったのかについて論じていく。

この物語の中に登場する色ということでは、“The Tartarus of Maids”の章に登場する女工たちの姿(顔)を表現した“pale”、“blank-looking”、“pallid cheek”、“sheet-white”などの「白」に関連した色が挙げられる。Moby-Dick or the Whale においても、その「白」という色の深遠さを語るために1つの章が費やされており、そこから想起される「死」のイメージに関しては、すでに何度も多くの研究者がその論文の中で言及してきている。

一方で前半の“The Paradise of Bachelors”に関しては、タイトルもその内容も一見すると“The Tartarus of Maids”とは対照的な作品であると思われるわけだが、語り手自身がpaper millへの道のりで“inverted similitude”を感じたと述べているように、彼は何らかの共通点を両者に見出している。しかしbachelorsの宴は、次から次へと登場する数々の「酒」や「料理」、そして彼らの身につける「エナメルのブーツ」といった華やかな色彩を連想させる表現で覆われており、少なくとも外観的な部分において“The Tartarus of Maids”との共通性を見出すことは困難なように思われる。その一方でbachelorsをテンプル騎士団と比較する表現の中で、騎士団が纏っていたマントを“snowy surcoat”という言葉を使って暗示していることからも、彼らが「死」へと向かうであろうことは容易に想像できる。つまりbachelorsとmaidsの両方の姿を目の当たりにし、彼らの周りを彩っていた「色」を語った語り手の言葉をそのまま信用してしまうと、この作品を対照的とも、もしくはWilliam B. Dillinghamが指摘しているように“the same world seen from another angle”とも定義して良いかどうかについては再考を要すると思われるほど、“The Paradise of Bachelors”の中には“The Tartarus of Maids”との対照性も類似性も混在していると考えることができるのである。

本発表では、語り手自身が用いた「色」についての表現に込められた意図を明確にした上で、彼が見出した“inverted similitude”とは、いったい何だったのかということを探り出したいと思う。


竹内 勝徳 鹿児島大学


無垢な人物が殺人を犯すという点で、HawthorneのThe Marble Faun (1860)とMelvilleのBilly Budd (1924)は共通している。類似点はそれに留まらず細部に、多岐に及んでいる。例えば、Donatelloの無邪気な姿は「人間が罪の重みを背負う以前」のものと形容され、その従順な姿は何度となく “hound”に譬えられる。Billyの無垢な精神も「垢抜けた蛇が身を捩って近づく以前のアダム」に比され、周囲の出来事に対する受身な姿勢が「犬のよう」であるとされている。Donatelloが修道士Antonioを突き落とすシーンを目撃したHildaは、その様子を “It was like a flash of lightning”と回想するが、BillyがRed Whiskersを殴る瞬間は”Quick as lightning”と描写されている。等々。しかし、二人の運命は大きく分かれる。あたかも、Billy Budd にはThe Marble Faun の残響音が残っており、MelvilleはHawthorneの亡霊を創造的に再構成する形で遺作を書き上げたかのようである。

両作品の相関関係を捉えるには、そこに行き着くまでに二人の作家が遂げた思想的変化を点検する必要がある。最近の研究では、例えば、Ralph Waldo Emersonも当初のアプリオリなカント的現象観から脱却し、現実の生活と高い理想との間にみられる対立故の、個別の事象から普遍的真実へ至る「動的」な発展のあり方を見出したとされている。ThoreauやWhitmanにもこれに類する変化がみられる。1850年の妥協案から南北戦争にかけての歴史的転換の中で、アメリカン・ルネッサンス作家の想像力は、静から動へ、調和から対立へ、アプリオリなものから発展的なものへと変容していったと言える。これは、ヴィクトリア朝の進歩史観やダーウィニズム、さらには、革命が頻発するヨーロッパにおいて、思想界がKantからHegel、Marxへと推移した流れにと並置されるものである。HawthorneとMelvilleもこの潮流から大きく外れるものではない。

例えば、Melvilleの場合、Mardi (1849)では魂の浮遊が容易に行なわれていたが、Moby-Dick (1851)では魂と身体が激しく対立し、その対立が逆にAhabの探求を推し進めていく。Billy Budd では、まさに調和的な魂が身体運動としてスムーズに表れないために「どもり」が発生した。Hawthorneにあっても、当初、人間の罪悪はアプリオリなものとみなされていたが、The Marble Faun においてMiriamは罪とは「ありがたい教育」ではないかと問う。Hawthorneは、アプリオリな自然的要素を人知によって発展させることで、罪を教育に変えることができると考えたのではないか。この認識の変化はThe Marble Faun の前に書かれた子供向け著作と無縁ではないだろう。また、Hawthorneの義理の姉Elizabeth Peabodyはアメリカにおけるフレーベル教育の推進者であり、その影響も少なからずあったはずだ。教育はDonatelloを救うが、Billyは法の前でどもり、死刑を宣告される。本発表では、こうした19世紀中葉の思想的変化の中に二つの作品を位置づけることで、その共通点と相違点を説明する。