1. How White Was It?――ハイ・モダニズムと黒人詩人

How White Was It?――ハイ・モダニズムと黒人詩人

名古屋大学 長畑 明利


20世紀前半の黒人詩人にとってモダニズムとは何だったのか。Houston Baker, Jr. のように、モダニズムという概念をまったく新しく解釈して、Booker T. Washingtonの文学的(言語的)営為を黒人にとってのモダニズムの始まりとする立場もあるだろう。それは、黒人にとってのモダニズムが白人にとってのモダニズムとは異なるとする立場、つまり、モダニズムを地域とエスニシティの条件下に生じる――もしくは、生じうる--とする立場である。しかし、こうした後世の解釈とは裏腹に、20世紀初頭のアメリカに生きた黒人詩人・作家がモダニズム文学についてそうした認識を得ていたか否かについては議論の余地がある。人種・エスニシティにかかわらず、当時の詩人・作家の多くにとって、モダニズム文学はヨーロッパ起源の白人文化に生じた革新として、またとりわけそれがキャノン化した後には、ほかならぬ教養の極致としてあったはずである。文化的後進性の烙印を押されたアメリカの黒人にとって(少なくとも、彼らの一部にとって)、モダニズム文学は人種の差異を超えてある普遍的教養の卓越性の記号であり、アメリカ黒人の「才能ある10%」が――あるいは、人種の違いを越えたアメリカ人としてのアイデンティティを希求した「ニュー・ニグロ」が――追求すべき高い教養の証として存在したとも考えられる。

こうした前提をもとに、この報告では、20世紀前半にEliot、Pound らが主導した、革新的かつ高尚な、いわゆるハイ・モダニズムの詩に対して、同時代の黒人詩人たちがどのような態度を示したかについて再検討を試みる。彼らの中でも特に、Braithwaite、Hughes、Tolsonら、ハイ・モダニズムの詩人と交流した詩人たち、あるいはその作品から強い影響を受けた詩人たちを採りあげて、ハイ・モダニズム文学の実験性や知的洗練、韜晦趣味や規範からの逸脱といった特徴を、彼らがどのように解釈したかについて考察する。こうした特徴を彼らは単に模倣しようとしたのか、あるいは、自身とは無縁のものとしてついには退けたのか、ヨーロッパ文明の歴史の中に起こったモダニズムという芸術運動、とりわけ、その革新性が、文化的・社会的背景を異にするアメリカ黒人にとっていかなる意味を持ち得たのか、黒人詩人たちはエリオットやパウンドらにとっての「モダニズム」とは異なる、独自の「モダニズム」を考えたのか、結局のところ、アメリカの黒人にとって「モダニズム」とは何だったのか――こうした問いについて考察することで、普遍性を志向しつつ黒人性に惹かれたハイ・モダニズム文学を目の当たりにして、アメリカの「ニュー・ニグロ」たちが、自らの文脈において、普遍性と黒人性をいかに捉えたかを浮き彫りにすることができればと思う。