1. 帰属と黒さ――ハーレムの東から / へ

帰属と黒さ――ハーレムの東から / へ

獨協大学 上野 直子


「わたしにとってアメリカは、一度としてアメリカではなかった」というLangston Hughesの嘆きと疑問のリフレイン。Roosevelt大統領の「民主主義の兵器庫」(The Arsenal of Democracy)という表現を「バカあほらしの民主主義」(Ass and All of Democracy)と読みかえた、Zora Neale Hurstonの皮肉。そして、あまりにも有名なDu Boisの「二重の意識」。「この二重の意識、たえず自己を他の人々の目でみるという感覚、……いつも自己の二重性を感じている」しかし、この分裂の感覚に対して、Hurstonは、「私は、アメリカ市民であり、黒人でもあることが、相容れないとは感じていない」と述べた。

いわゆるモダニズム期の合衆国で、「新しいニグロ」と呼ばれた表現者たちが、「帰属」と「アイデンティティー」の問題に、言葉を織る行為を通じてどう向き合ったのか。その営為に、「黒人」であることや、「アフリカ」的なるもの(中継点としてのカリブ地域をふくめて)が、どのように関係したのか。また、彼ら・彼女らの表現は、「人種」をめぐる、どのような文化=政治の磁場のなかに置かれていたのか。具体的には、Mckay、Toomer、Hurstonらのテキストを中心にマッピングを試みてみたい。

マッピングの両端には、アフリカン・ディアスポラのアイデンティティーについての対照的な捉え方をおいてみよう。一方は同時代のイデオローグ、ジャマイカの「英雄」、Marcus Garveyの本質論である。Garveyは、黒人のプライドと経済的独立を説き、全世界の黒人のアフリカ帰還による黒人国家建設を最終目的とした。1914年にキングストンで創設されたGarveyの「全黒人地位改善協会」は、1917年にハーレムに本部を移動した後、世界最大の黒人組織へと発展するのだが、彼にとっては、合衆国で二重意識の統合をはかることなど、実は問題ではなかったろう。Garveyの考えでは、「黒人」=「アフリカ人」であり、合衆国は本質的には黒人が帰属すべき場所ではないからだ。

もう一方は、ジャマイカに生まれ、英国で仕事をしてきた、現代の社会学者、Stuart Hallが提唱する非本質的なアイデンティティーのあり方だ。ブラック・ディアスポラを「新しい世界のノマドの原型」と見る彼は、非本質的なものとして捉えた文化を、アイデンティティーの動的な基盤とする。「過去の様々な物語によって、それらの物語のなかに、私たちが位置づけられる様、また自らも自らを、それらの物語のなかに位置づけていく、いろいろに異なるやり方、それらをわたしたちはアイデンティティーと呼ぶのである」、とHallはいう。この捉え方では、「アフリカ」にしろ、「人種」にしろ、歴史と社会のなかで変化しながら、個人を織り上げ、また個人によって読みかえられていく、多くの物語のなかのひとつ、暫定的なカテゴリーのひとつとなる。こう考えると、それは理論的には、「モダン」なアイデンティテイーの普遍的なかたちとさえ見えてくるのだが、さて、現実のテキストは、これらの両極の間をどのように動いているのだろうか。