1. ゲーリー・スナイダーの『終わりなき山河』――惑星の文学の可能性

ゲーリー・スナイダーの『終わりなき山河』――惑星の文学の可能性

琉球大学 山里 勝己


19世紀アメリカ詩の読者は、ホイットマンが『草の葉』をひっさげて颯爽と登場したとき、そのヴィジョンの広がりと、アメリカ産業革命を背景とした新しい詩語の氾濫に圧倒された。20世紀から21世紀にかけて、アメリカ詩の分野で、地球全体を一つの「場所」として捉えることで新しい人間像と地球像のありようを追求し、ついにはこのような文学的関心が新しい文学的想像力と新しい詩語の創造に到達するものであることを示したのは、おそらくゲーリー・スナイダーが初めてであろう。ホイットマン同様に、スナイダー詩の有するヴィジョンの広がりと、20世紀後半から始まった地球の自然環境の変容を反映する新しい詩語の創造は、地球の文学、あるいは惑星の文学と呼ぶにふさわしい到達点を示している。これは、おそらくは先駆的な「惑星思考」の文学と言うべきものであろう。

スナイダーの初期の詩は、カリフォルニアのシエラネヴァダやアメリカ北西部のウィルダネスから出発する。それから、日本を中心とする東アジア、インド、中近東、オーストラリアなどにその詩の世界が拡大される。10年に及ぶ日本滞在からアメリカに戻ったあとは、生態地域主義などのように、人工的な線でしかない国境を無化し、地球全体のつながりを幻視する思想を深化していく。その際に、スナイダーの思想に強いインパクトを与えたのは、アメリカ先住民神話が見せてくれた「亀の島」という、環太平洋を繋ぐヴィジョンであった。Turtle Island (1974)は、スナイダーの思考に初期から潜在していた深い時間の流れを顕在化し、「アメリカ」の境界を越えて地球のありようを再考しようとする詩集であった。

40年かけて1996年に完成した『終わりなき山河』(Mountains and Rivers without End)は、スナイダーの「惑星思考」を集大成した詩集であると言えるだろう。それは、世界の多くの神話をテクストに組み込みつつ、アメリカという一つの「場所」から出発しながら、究極的には地球という惑星をその主題とする詩学を創造しようとする試みである。また、それは自然環境と人間の関係性という視点を導入することで、地球の文学とでも呼ぶべきスケールを獲得するようになった文学でもある。このような詩をどう読むか、または、このような文学はどのように評価されるべきか、スナイダーの「惑星思考」を分析しながら論じてみたい。