1. 2.Henryの「仮面」

2.Henryの「仮面」

山中 章子 獨協大学(非常勤)


John Berryman (1914-72)はいわゆる告白詩人のひとりと言われるが、彼の作品は同じく告白詩人と呼ばれた同世代の詩人Robert Lowell (1913-78)やDelmore Schwartz (1911-65)のものとは性質が異なる。Lowellには名門の家系が背負っていた歴史とボストンという土地が、Schwartzにはユダヤ系アメリカ人の文化が大きな影響を与えた。だが、寄宿学校でいじめられつつ少年時代を過ごし、不況による家業の破綻から引越しを経験した少年Berrymanには、祖先から受け継いだ歴史も土地も文化もなかったといってよい。つまり彼は、特定の影響を受けるだけの故郷を持たずに生まれ育ったのである。最期の地であるミネソタに落ち着いたのは後年のことだ。

更にBerrymanは第二次世界大戦の徴兵の際、視力の弱さのため二度も4F(兵役不適合者)となり、戦争に関わらなかった。Connaroeも指摘するように、この点も良心的兵役拒否者だったLowellや戦争を体験したRandal Jarrell (1914-65)とは違う。Berrymanは自分の意志で反戦を選んだわけでも、意思に反して参戦したわけでもなく、受動的な結果を受け入れただけだったのだ。

このような「影響を受けない」状況が、逆にBerrymanの作品に影響を与えただろうことは容易に推測できる。自分がユダヤ人では ことを証明できない青年を描いた初期の短編小説 “The Imaginary Jew” (1945) で既に現れているように、Berrymanは、社会・文化の中心へ積極的に関与していくのではなく、私的な題材を通して、社会の周縁から虚をつくような作品を生み出した。社会とのこのねじれた関係は、“Dream Songs” (1964-69)の主人公Henryの黒塗り(blackface)という「仮面」に結実する。「仮面」は素顔を隠すための覆いとして機能するが、同時に「仮面」をつけた者の言葉が覆われた素顔の本音であることも示唆する。“Dream Songs”では私的な主題が多く書かれているが、「仮面」を使うことで「Henryは架空の人物であり私ではない」として作中人物と作者の距離を保てるし、夢の世界における自己との対話の入り口にもなる。

Blackfaceという「仮面」は、人種をも超えてしまう厚さと、着脱できないという薄さ(密着性)を兼ね備えている。これまでの“Dream Songs”の批評では、「社会」と「私」、「意識」と「無意識」などの固定された構造に着目されてきたが、小論ではむしろその境界を行き来するための、道化的な役割を担ったblackfaceであると捉える。社会に参加も不参加もできない消極的な位置にいたBerryman/Henryは、矛盾を内包する自己(self)を用いて矛盾を内包する社会(public)を体現する。それは「自己」対「他者」という二項対立ではなく、自分も社会の中に含まれている、内部からの告発となるのだ。

創作の支えとなる歴史も文化も持たなかったBerrymanの視線はやがて自己内部へと向かい、それを詩の主題としたが、詩のフォームとして19世紀にアメリカで生まれた比較的新しい演芸であるミンストレルショーを用いた点に、彼らしさがあるといえるだろう。ミンストレルショーの道化であるHenryは、白/黒、意識/無意識、表/裏の境界を行き来する。初期の詩集The Dispossessed (1948)より、社会批判の色が強くオーデン風だといわれる作品や対話形式の作品と“Dream Songs”を対比させながら、Henryの「仮面」について考察する。