1. 3.Anaya文学の四季とカオス――Jemez Spring(2005)を中心に

3.Anaya文学の四季とカオス――Jemez Spring(2005)を中心に

水野 敦子 山陽女子短期大学


アメリカ南西部に異邦人として生きるチカーノ作家、Rudolfo Anayaの2005年の作品Jemez Springを、四季とカオスを軸にして考察してみたい。本作は、主人公探偵サニー(Sonny)と、核を〈現代の太陽〉と称し、核を盗んで世界を征服しようとするレイヴン(Raven)との対決を描く四季四部作の最後の作品で、レイヴンを倒しニューメキシコに春を招来させたサニーは〈チカーノ・ユリシーズ〉と呼ばれる。作者は、この夏から春への四季四部作で、スペインと合州国によるマニフェスト・デスティニーによって、歴史と文化と土地を奪われた人々の回復をめざした。四季は太陽の道を示すものであり、現代での四季世界の構築は、作者の神話世界との切離感から生じたものである。作者は、奪われた神話の地と太陽との〈関係〉を明らかにしつつ、古メキシコと新メキシコというトポスで南西部の神話を奪回しようとしたのである。

Anayaのこうした立場はカリブ海文学の〈世界の響き〉( )と連動している。チカーノ文学とカリブ海文学の季節のあり方は、概観する限りでも、西欧的な「関係」とは全く異なるヴィジョンが季節に託されて表現されてきたことがわかる。管啓次郎は二つの文学の方向を「オムニフォン」なる多言語主義と捉え、フランス語使用(フランコフォン)や英語使用(アングロフォン)の住み分けを越えた「オムニ」(全ての)の世界を説いている。「あらゆる言葉が同時に響きわたる言語空間で生きる決意を言うものだと、ぼくはうけとめている。理解できない言葉の不透明性をうけいれ、それに耐えつつ、それを尊重し、その来歴を想像し、新たな『列島』を構成しうる可能性を探ろうとするのだ。」(『オムニフォン――〈世界の響き〉の詩学』30)

まさに、企図、侵略、拡張、略奪、搾取、蓄積などの原理に基づかない〈関係〉を探るのがチカーノ文学とカリブ海文学の使命であり、両者は、「アメリカのユートピア的現実に対する、私たちの真の現実をもってする返答」たる「創始の文学」(O. Paz)と言えよう。しかし、カリブ海文学では、自然、或いは季節のなかで謳われた美が〈カオス〉にあったのに対し、Anayaは主人公の敵レイヴンを〈カオスの王〉と称した。神話世界の豊かさを物語化した作者のカオス志向の姿勢とこの命名との矛盾の中に、作者の意図を探る必要があろう。というのも、post-Anaya世代の作家・詩人たちもカリブ海文学者と同様、〈カオス〉の美を文学の基礎としているからである。本発表では、以上のAnayaの矛盾を念頭に、Anaya文学を四季とカオスに焦点を当てて考察する。