1. 2.Belovedから Arc d’X へ――歴史物語における亡霊の政治性

2.Belovedから Arc d’X へ――歴史物語における亡霊の政治性

山野  茂 大阪大学(院)


Toni Morrisonは、Playing in the Dark (1992)において、アメリカ文学において人種問題を扱うことは避けて通れないことであると述べている。この著書の中心的課題は、白人小説の中に現れる、白人の様々な思惑や感情の投影された「アフリカニズム」の分析である。彼女は、アメリカ文学史上キャノンとされる白人小説家の作品を取りあげ、「アフリカニズム」が白人の優越性を確認し、維持するための政治的装置になっていたと論じている。今回の発表では、そのようなMorrison文学の政治性を踏まえた上で、奴隷制という共通のテーマを持つ、白人作家Steve EricksonのArc d’X(1993)とBeloved(1987)を比較し、互いの共通点と相違点を確認しつつ、それぞれの政治性を考察していきたい。

二つの作品に共通するのは、歴史が語られるものという見方であり、個人の記憶を通して蘇る歴史は、いずれの作品でも亡霊性を帯びている。Beloved のSetheは、自分の子殺しを正当化するナラティヴを作り上げ、それを否定するコミュニティーとは隔絶した生活をしている。しかし、彼女の生活には殺した子供の亡霊が入り込み、そのナラティヴの正当性を常に脅かし続ける。BelovedはSetheを責め続け、狂気の状態まで追い詰め、結果的に歴史のやり直しを迫る。「子殺し」から、子を守るための戦いに至る意識の変革は、Setheの奴隷制にまつわる記憶の掘り起こしを伴い、奴隷制がまとわりついた価値基準の解体をも意味している。

一方、Arc d’X のSallyは、Thomas (Jefferson)に陵辱された経験から、Thomasを殺すことによって自己の解放を実現するというナラティヴを作り上げている。しかしSallyは、実は彼のことを愛しており、奴隷としての彼女はその愛によって苦しむ。Sallyのこの苦しみは亡霊性を帯び、時空を超え、世代を超えてもう一人のSallyの意識の中に入り込み、奇怪な生物を彼女の子宮の中に生み出す。彼女の葛藤は、そもそもThomasが「幸福の追求」に奴隷制から得られる淫靡で嗜虐的な悦びを忍び込ませたために生まれたものであり、アメリカの歴史、政治に内在する葛藤を象徴している。SetheとSallyを苛み追い詰める亡霊は、恐ろしい力を備えているがゆえに、「アメリカ」というディスコースを揺るがせ、アメリカの歴史、政治の検証を迫るものである。

このように両作品においては、亡霊あるいは亡霊性といったものが共通した政治的効果を生み出しているが、結末を並置してみると指向性の違いがはっきりと浮かび上がる。Beloved では、Setheの新たな生活の基礎に、正邪併せ持つコミュニティーの力が据えられている。一方、Arc d’Xでは、歴史を見直し書き直す力が、自己犠牲的愛を持つ個人に委ねられている。こうした指向性の違いを踏まえ、Arc d’X の結末部分の議論においては、頻出するシニフィアンとしての「色」について再検証を試みる。Arc d’X では、テクスト全体を通して「白」と「黒」の意味の揺れや交替が起こり、それ自体がSallyの葛藤を象徴しているが、結末部分では、MorrisonがPlaying in the Dark において指摘した負の意味を押し付けられた「黒」が解体され、自己犠牲的愛に包まれた「黒」が創出されている。