1. 4.アメリカ的存在、あるいは "a human becoming"――AusterのMoon Palace におけるフロンティアとアイデンティティの更新性

4.アメリカ的存在、あるいは "a human becoming"――AusterのMoon Palace におけるフロンティアとアイデンティティの更新性

下條 恵子 宮崎大学


Paul Austerの作品にみられるアイデンティティの問題は、ロゴセントリズムの崩壊に伴う自己規定の不可能性といった、いわゆる「言語的転回」のコンテクストの中で論じられることが多かったが、Moon Palace (1989)では、Columbusのアメリカ大陸「発見」や西漸運動といったアメリカ色の濃い要素が前景化され、それに連動する主人公のアイデンティティの流動性は作品のサブテクストとして描かれている。

Moon Palaceは「それは人類が初めて月を歩いた夏だった」という一文から始まるが、1969年の月面着陸によって人々のフロンティア意識が宇宙空間にまで拡大されたことは言うまでもない。アメリカ史という文脈の中で〈フロンティア〉という語が登場するとき、それは常に西へと移動し続けるものであり、アメリカのナショナル・アイデンティティ確立の気運に地理的領域を暫定的に与えたものであるというのは定説である。したがって、その地理的位置は常に更新される。ならば、常に新たなフロンティアを求めることによって確立されるアメリカのナショナル・アイデンティティもまた、フロンティアの地理的刷新に連動してその都度更新される、極めて流動的なものとなるはずである。本発表は、主人公Marco Stanley Foggのアイデンティティの流動性を、アメリカン・フロンティアの更新性という観点から論じるものである。

主人公Foggは、Fogelman→Foggと変化した彼の名前の中に「アメリカに到達すべく、霧に煙る大洋を渡る鳥」のイメージを見出し、「月面の風景によく似ている」と描写される西部へと旅する。しかし、この乱雑に短縮されたFoggという名が作中「誤称(“misnomer”)と表現されていることからもわかるように、Foggの個人的な西漸運動は、「西インド諸島」という「誤称」を持つアメリカのフロンティア開拓の暗喩と読むことができる。フロンティアがその地理的領域を明確にせぬまま西へ移動していくのと同様に、ニューヨークからラグーナビーチへと西進する物語の過程でFoggは、「兵士」、「代書人」、「父親」、「息子」といった様々な存在にながらも、これらのいかなるアイデンティティ領域にも到達することなくアメリカの最西端に到る。批評家Deleuzeは、旧世界の物語が確立してきた存在領域から逃避するように生成変化を続けるアメリカ特有の存在の仕方を “a human becoming”と呼び、代書 代書人Bartlebyをそのような集団の書き手とした。本発表では、Foggもまた、この“a human becoming”の系譜を引くという点を、彼の西漸運動の物語から論証する。