1. 2.作家Nick Adams,人物Nick Adams,そして “he”

2.作家Nick Adams,人物Nick Adams,そして “he”

前田 一平 鳴門教育大学


作者を歴史と言説の中で構築されるひとつの機能にすぎないとするMichel Foucaultや,「作者の死」を説いたRoland Barthesを踏まえた上で,Ernest Hemingwayのホモセクシュアリティを論じるDebra A. Moddelmogは,作者の身体(“the author’s body”)の残存を主張する。そして,バルトの言う「伝記素」(“biographemes”)という概念を援用して,作者はまとまりをもつ単一な存在でも,伝記の中の主人公でもないと言う。「伝記素」とは,当該読者の目を特に引く作者の人生の断片,読者自身の「快楽,イメージ,イデオロギー,そして歴史と共鳴する細部」,つまり読者自身の「好み,偏愛,情念」によって生み出される「個人的」なものである。ここにModdelmogがみずからの本の題名Reading Desireに込めた批評スタンスがある。つまり,「作者」は読者の個人的な「欲望」として解釈の舞台に立ち現れるのである。Hemingwayのような大衆性の強い作家の場合は特に,作家のイメージは「メディア,批評家,書店,編集者,教師,出版社,伝記作家,そして作家自身の再現行為から立ち現れる」ので,その創られたイメージは「知識と欲望と権力の体系に縛られているのである」とModdelmogは言う。

社会によってであれ読者によってであれ,Hemingwayという作家は構築される存在として捉えられる。ところが,Hemingway自身,「作者」というポジションに極めて自意識的な作家であり,出版作および未出版原稿において自己言及的に作家/作者を描くことは少なくない。なかでも“On Writing”は,作者Hemingwayと登場人物Nick Adamsの間に介在する作家Nick Adamsの存在を措定していて,作者Hemingwayと作家Nick Adamsの峻別を読者にせまる。この遺稿出版作は原稿段階で“Big Two-Hearted River”の結末を成していたものである。作家Nickがみずからを中心人物とする物語を書くという物語を作者Hemingwayは書いていたのである。このようなメタフィクション的な自己言及性は,単に人物Nick Adamsと作家Nick Adamsと作者Hemingwayの同一性,つまりHemingwayの作品はほとんど完全な自伝であるという見解に収斂されるものではあるまい。むしろ,みずからの経験が透けて見えるほど自伝性が明らかな創作の自伝性を隠蔽あるいは操作するために,Hemingwayはペルソナとしての作中人物を創作する作者を措定しなければならなかったのではないだろうか。

作家Nick Adamsは“Big Two-Hearted River”の作者であるのみならず,In Our Timeの各ストーリー,また他の多くの長短編小説の作者でもあると仮定することによって,Nick Adamsの作家としてのポジションを解明したい。特に,Nickとは別名の中心人物を配した作品や,“he”という人称代名詞でしか言及されない人物を描いた“A Very Short Story”にみられる中心人物の名前の操作について検討する。